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【人生感悟】 過去を許す

作者﹕青松

 【大紀元日本1月5日】

 昨夜、十数年も連絡を取っていない中学の時の同級生、艶儿(イェンア)の夢を見ました。夢の中の彼女はやつれた顔で、結婚生活の不幸を泣きながら訴えていました。目が覚めた後、今思えば、天国で過ごしたかのようだった、中学生の頃の歳月を思い出しました。

 天国といっても、全く楽しかったとは言えません。辛酸苦楽を味わい始めた12、13歳の頃のことです。私達の年代にとっての課題は勉強でした。先生、両親、友人は、学業成績を根拠に生徒を評価していました。このような異常な社会状態は子供たちに多くのプレッシャーをかけ、知らないうちに、子供たちの性格を変えてしまいました。

 その頃、私は同じ年の人より背が低く、心の成長も遅かったようでした。中学に入って、周囲の生徒たちは皆、勉強に没頭していました。私が進学した中学校は県内最高の優秀校だったので、生徒は皆、いわゆるトップクラスでした。互いに競争し合うことは、言うまでもありません。夜、自習の時、誰かが少しでも多く勉強できたら、他人に勝ったように感じていました。わたしの周囲はこのような雰囲気でしたけれども、勉強より遊びに夢中だった私には少しも影響を与えませんでした。授業が終わった後の休憩時間がたった10分間でも、私は仲間達と標本にする虫を取りに行ったり、お手玉で遊んだり、縄跳びをしたりしていました。自習の時、皆は精一杯勉強するのに、私は標本を整理したり、絵を描いたりすることに懸命でした。あの頃は、確かに天国のような生活を送っていて、憂いも心配もなくて、毎日考えていたのは遊びのことでした。

 中学二年生の時、艶儿と同じクラスになり、だんだん親しくなっていきました。艶儿の成績は私より上でした。彼女も親友が欲しかったようでした。それからは、艶儿は私と一緒によく勉強し、自習する時も、無駄話をせず、いつも互いに英単語や歴史年表の問題などもやりました。艶儿の考えは、最初に学習をきちんとこなしてから、遊ぶといったものでした。ですから、艶儿と一緒に付き合うようになってからは、もっとまじめに勉強するようになりました。毎日午後、彼女といろんな所へ遊びに行きました。

 艶儿と私はどちらかというと男の子っぽくて、警官ごっこが好きで、他のクラスメイトと暴れたり騒いだりしました。私は「兄弟の絆」の意味を初めて体験しました。艶儿はいつも私を庇い、いじめられた状態から脱け出させてくれました。とても自然に、私も当たり前のように艶儿を庇い、他の人が彼女をいじめないようにしました。艶儿と私はいつも同じ服を着て、同じヘアスタイルをしていたため、学校中の多くの人たちは私達を双子だと思っていました。艶儿がいる日は、天国のように美しく充実していました。しかし、良い状態は長く続きませんでした。

 半年後の試験で、私の成績が飛ぶように上位に入り、艶儿の順位とかけ離れてしまいました。私は艶儿が以前、私を励ましたように、艶儿を慰めながら励ましてあげました。しかし、艶儿の表情は昔のようではありませんでした。彼女は私に対して、冷たい言葉を投げかけ、至る所で私の悪口を言い、何度も私に暴力さえ振りました。私が初めて買った腕時計の鎖を、彼女が歯ぎしりして引き裂いたのを見て、私は絶望しました。他人は艶儿が私と冗談を言っているのだと思っていましたが、私は分かっていました。彼女は胸いっぱいの不満を発散していたのです。これは私の生涯の中で、初めて受けたショックでした。初めて友達に裏切られました。

 読書の時間、蕭何(シャウハ)と韓信(ハンシン)のストーリを読んだところ、私の目に涙がいっぱい溜まりました。韓信の成功は、蕭何の推薦にありましたが、韓信の命を奪ったのも彼でした。『成也蕭何、敗也蕭何』(蕭何により成功し、蕭何により敗北す)。わずか八文字ですが、物悲しさが深く伝わります。まるで艶儿と私のことではないでしょうか。彼女は私を連れてよく勉強し、私に友情ということを教えてくれました。しかし、私の学業が順調に伸びたため、私が彼女との友情を大切にし始めた時、彼女は私に嫉妬し、私を傷つけて、私からだんだん遠く離れて行きました。私に対して、一人で、まったく相反する役を演じました。いったいどれが本当の彼女なのでしょうか?

 それからの日々、私はどのようにして艶儿の変化に向き合うかを学びました。最も良い方法は見て見ぬふりをすることだと悟りました。私は彼女の辛辣な当てこすりなどに傷ついているわけにはいきません。勉強をこなすのは私の責任で、艶儿の言語や冷たい目つきのために、自分の責任を放棄することはできません。たまには、つらい思いで、一人で涙を拭いましたが、表面的には堅強さを繕いました。私のこのような態度は、艶儿をさらに憤怒させました。私の成績はずっと安定し、ほとんど毎回の試験で学年の1位を取るようになりました。艶儿の成績はずっと下がってしまいました。

 艶儿は大学に進学できませんでした。彼女は更に冷ややかになり、いつもの冷たい言葉さえ止めて、私との連絡も一切途絶えました。友達から聞きましたが、彼女は一年の浪人生活を送り、普通の大学に合格しました。その大学では平均の成績でした。そして、この数年、彼女は不幸な生活を送っていたようでした…

 昔の出来事を振り返り、突然気づいたのですが、追憶の中には痛みがありません。艶儿がかつて私に付き添って重大な人生の転換に気づかせさせたことに対する感謝だけがあります。たとえ、はっきりと艶儿が私を深く傷つける言葉を言い出したことを思い出しても、心の内には恨みは微塵もなく、当初の苦痛は少しも感じられません。そうですね、艶儿のことは、私の人生の中で、遺憾に思いますが、人生はもともと完璧ではありません。長い年月が過ぎ、本当に成長しました。他人より一拍子が遅れましたけれども、やはり成長しました。成熟とは、寛容と許容を備えること。

 許すことは、忘れることではありません。忘れてしまったら無駄になります。人生の中で出会った重要な人、あるいは重要な出来事を忘れられる人はいません。忘れたいと思うことは、逃避したいと思うことです。しかし生活の中から逃れられる人はいません。どんな痛みに直面しても、忘れよう、逃げようとはせず、許すことが大切なのです。過去を許すことができる人は、ひきずるものなく、次の人生を歩み出せます。

(翻訳編集・李頁)


 (10/01/05 05:00)  





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