【紀元曙光】2020年1月4日

三箇日を過ぎると仕事始めの人も多くなってくる。そろそろ正月気分も抜ける頃だが、いま少し暢気な話題で遊ばせていただきたい。お餅の話である。
▼個人差はあろうが、日本人は米飯を常食としている。お餅も大好きだが、餅だけを毎日の主食としている人は、おそらくいないだろう。もちろん今は家庭用の餅つき機もあるので、好きならいつでも作れるし、スーパーやコンビニでは通年売っている。ただ、それを言っては実も蓋もないので、正月ならではの「餅」の意味を考えてみたい。
落語家の林家木久扇師匠がまだ木久蔵だった頃からの定番ネタに、「彦六伝」というのがある。自分の師匠である故・林家彦六のものまねを入れながら笑いをとるのだが、それが恩師への尊敬と愛情にあふれていて、なんとも楽しい。
▼ある年の正月、まだ前座時代の木久蔵が、師匠の家の神棚に供えられた大きな鏡餅を目にした。カビだらけで、すごい色になっている。「なぜお餅にカビが生えるんでしょう?」と聞くと、彦六師匠「ばか野郎。早く喰わねえからだ」。
▼冬とはいえ、餅を空気にさらしておけば、すぐにカビが生える。当たり前のことだが、それも承知の上で、昔はお供えをした。宗教というより慣習からのものだろうが、それなりに神仏を敬う作法として、暮れから正月へ向かう日本の風景となっていた。
▼あの頃は、餅にカビが生えることさえ神仏の霊性ととらえて、さほど嫌がらなかったのではないか。今日のパック包装された形式的な鏡餅には、そういう感性は、おそらくあるまい。昔のカビ餅を、なぜか懐かしく思う。