印刷版   

しゃくなげ(大紀元)

【ショート・エッセイ】しゃくなげ色の黄昏

 【大紀元日本4月25日】目に見える事象であれ、目に見えない形而上の存在であれ、言葉や文章でどこまで表現できるかは、我われ物書きにとって常に挑まざるをえない高峰である。

 事物の色彩を言葉で表現することも、なかなか難しい。遥か昔の幼児のころ。親に買ってもらうクレヨンが12色から24色に増えたとき、青のほかに藍色があり、黄色のほかに山吹色があることを知った。その時、色彩というものはとても豊かな世界で、実は無限なのではないかとおぼろげに感じた記憶がある。

 その中にも、自分がきれいに感じる色と、汚いとしか思えない色があることに気づいた。つまり、色彩の世界の無限さとは対称的に、人間の感性には美醜の定型があることが想像できたのである。土色のクレヨンで空の絵を描きたいとは思わない。なかなかの大発見であった。つまらぬ大人の理論とは無関係に、生きた体験学習ができた子供時代が懐かしい。

 しかし、それがどんな色なのか、長い間どうしても想像できない情景があった。

 小学校の音楽で習った唱歌「夏の思い出」の一節に、「しゃくなげ色にたそがれる」とあった。その「しゃくなげ色」とは一体どんな色なのだろう。正直に言うと、「たそがれ」は黄昏と書くので、「しゃくなげ色」は黄色かオレンジ系の色ではないかと思っていたのである。

 石楠花(しゃくなげ)がツツジ科の植物で、春から初夏にかけて紅紫色や淡紅色の花が咲くことを知ったのはずっと後のことだ。もちろんオレンジ系の色はない。

 そうすると、尾瀬の雄大な夕暮れを表現する色彩として、作詞者の江間章子さんが選んだ「しゃくなげ色」とは、日没後の薄闇となった情景、色で言えば紅紫系の色彩であったと想像できるのだ。

 ふと思い出した。『枕草子』第一段に「春は曙。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」とある。ここでいう「紫」は、江戸紫より赤みが強い古代紫、つまり紅紫色であると言われている。

 こちらは夕暮れではなく夜明けの情景だが、澄み切ったその一瞬の空気を表現するのに選ばれた紅紫色すなわち「しゃくなげ色」が、平安以来の日本人の伝統的感性にかなったものであることが分かった。久しぶりの大発見に喜んだ。

(埼玉S)


 (10/04/25 05:00)  





■キーワード
ショート・エッセイ  しゃくなげ色の黄昏  紅紫色  淡紅色  


■関連文章
  • 【ショート・エッセイ】「男性花」としての桜(10/04/11)
  • 【ショート・エッセイ】 世の中に絶えて桜のなかりせば(10/04/04)
  • 【ショート・エッセイ】  春の前の春へ(10/03/28)