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東京・王子の音無親水公園の夜桜(大紀元)

【ショート・エッセイ】「男性花」としての桜

 【大紀元日本4月11日】散り始めた今年の桜を眺めながら、花の「女」性・「男」性について、ふと興味を覚えた。人間の性別のことではない。花のもつ表象性に女性らしさ男性らしさがあるとすれば、それはどのようなものかということだ。

 花を好むことは、もちろん男女を問わない。ただ花そのものがもつイメージは、たおやかで優美、すなわち女性的というのが概ね世界共通の認識ではないだろうか。

 その点、日本人の思考は、おそらく世界でも特例的で面白い。力士の四股名に花の字を入れるように、時として花を屈強な男性に見立てるのだ。見事に咲き、潔く散る。その男性的な生き様を日本人は「花」と呼び、とりわけ桜にその民族の魂を託してきた。

 極まれば、また美となる。「男性花」としての桜は、もののふに雅やかな香りを添え、いつしか日本人の美的精神を代表する花になった。

 八幡太郎と称され、奥州を平定した源氏の頭領・源義家は、文武に秀で、和歌にも優れていた。千載集に収められた義家の一首「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」は、奥州遠征時の情景であろうか。桜を散らせる風よ「勿来(なこそ)」つまり吹き来てくれるなと、白川関と並ぶ奥州の入り口・勿来関を詠み込みながら、道も狭しと散り敷いた山桜の花弁に「もののあはれ」を興じて歌ったものである。

 手元の資料によれば、この歌は義家が天喜4年(1056)父の頼義に従って前九年の役に従軍した時のものだという。だとすれば、義家この時17歳。地面に散り敷く桜の花びらと、それを見る馬上の若武者は、まさに美と美が共鳴しあう一幅の絵画であっただろう。

 酒肴を携え、大勢で出かける遊興となったのは江戸時代以降のことで、今日のやや騒がしい花見もその延長にあるのだが、本来花見は静かな精神の時間であったはずだ。桜は変わらずとも日本人が変わってしまったとすれば、いささか寂しい。 

(埼玉S)


 (10/04/11 05:00)  





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