THE EPOCH TIMES

【ショート・エッセイ】漱石と天麩羅そば

2010年05月16日 07時22分
 【大紀元日本5月16日】故・司馬遼太郎さんのエッセイ『街道をゆく・閩のみち』の中に、夏目漱石の小説『坊ちゃん』についての、おもしろい指摘がある。

 その概要は次の通り。温泉浴場で八銭の湯賃をだす上客には、湯屋からの接待として「天目に茶を載せて出す」と漱石は書いているが、これはどういうことなのか。巻末の注釈には通常「天目とは天目茶碗のこと」と解説されている。中国江南の窯で作られるすり鉢のような抹茶茶碗であるが、それにしても茶碗に茶を「載せて出す」という日本語は、どうもおかしい。

 そこで司馬さんの推理は、漱石の書いた天目とは、茶碗ではなく、おそらく茶碗を乗せる「天目台」であろうということだ。

 つまり、この茶とは当然ながら(煎茶ではなく)抹茶であるはずで、それが天目台に載って恭しく運ばれてきた。とすれば、従三位以上の貴人にするような最上級の接待を、たかが湯屋の客に対して施すのが伊予松山の「伝統文化」ということになり、「この場面の滑稽味は爆発的となる」と司馬さんは書いている。

 司馬さんの模倣のようで恐縮するが、同じ『坊ちゃん』の中で私が以前から疑問に思っていたことが、これをヒントに解けた。

 以下の場面である。ある日、そば好きの主人公が、松山城下のそば屋へ入って「天麩羅そば」を四杯食べた。これが翌日の教室で生徒たちの格好の笑い草にされてしまうのだが、四杯の大食いはともかく、なぜ「天麩羅そば」がそんなに笑われるのか。

 これも食文化という観点から小説をつぶさに見ていくと、漱石はきちんと論理の布石を打っていることが分かる。

 そば屋の看板の隅に「東京」と書いてある。しかも、古い家を買い取って二三日前に開業したばかりの店らしい。つまり、主人公と同じく、この「東京そば」屋も新参者だったのである。しかも、ここは西日本の四国松山である。当然、圧倒的な「うどん文化圏」であり、関東流の色濃いダシは全く受けつけないはずだ。

 だとすれば答えはこうなる。得体の知れない真っ黒いダシに浸った「東京そば」をうまそうにすする新任教師などは、松山中学の生徒から見れば、墨汁を飲む異星人に近い存在なのだ。異星人が異物を四杯も食べていたのだから、これは笑わずにはいられない。

 翌日の教室で、生徒たちから「ぞな、もし」の総攻撃を食らったのは、主人公「坊ちゃん」には気の毒であったが、致し方ないだろう。

 このごろ 関東地方にいる私の身近に「讃岐うどん」の看板が多くなり、ふとこれを書きたくなった。もちろん「讃岐うどん」も嫌いではない。

(埼玉S)


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