【紀元曙光】2020年6月12日

永禄3年5月19日。西暦では1560年6月12日にあたる。460年前の今日、桶狭間の戦いが行われた。
▼尾張の「うつけ」織田信長が、東海道を西進してきた駿河の今川義元を、激しい降雨のなか寡兵をもって奇襲。桶狭間(田楽狭間とも)で休息中の今川軍は、圧倒的多数の兵を擁しながら抗しえず、ついに義元は討ち取られてしまう。
▼という展開は、小説にも映画にも幾度となく描かれており、日本人の意識のなかで「定番」となった。司馬遼太郎さんが、信長の偉かったところは桶狭間の「二度目」を期待しなかったことだ、という意味のことをどこかに書いていた。薄氷を踏むような奇跡的な勝利であったことは、信長自身が誰よりも知っていたのだろう。
▼戦国大名で、東海一の弓取りと呼ばれた今川義元は消えた。興味深いのは、その後の今川家である。義元の息子で、今川氏真(いまがわうじざね 1538~1618)という若者がいた。この時、23歳。家督は継いでいた(らしい)が、当主として戦国の世を勝ち抜き、自家を再興させる実力はない。
▼氏真は、戦国大名であることを止めてしまう。彼を諫める家臣はおらず、殺そうとする家来もいなかった。氏真は、北条や徳川の庇護を求めて流転する、心もとない日々をしばらく送るが、その中で歌道を極める文化人として人生の意味を見出していく。
▼氏真は柔弱な男ではなかったようだ。塚原卜伝に剣術を学び、鍛錬もした。ただ、桶狭間で敗死した父と同じ戦国武将の道を、氏真は選ばなかった。そういう人生の変え方に、
彼への興味と魅力を感じる。