THE EPOCH TIMES

【台湾通信】時空を超える「延平郡王祠」紀行

2010年08月17日 10時11分
 【大紀元日本8月17日】日本の皆さん、こんにちは。

 今回は、日本、中国、台湾と関わりの深い漢民族の英雄・鄭成功をご紹介します。日本では、近松門左衛門による「国性爺合戦」が、鄭成功の事蹟を世話物中心に捉えて浄瑠璃化したものとして知られています。

 鄭成功(1624年-1662年)は、日本で生まれてから台湾で病死するまでの僅か39年間に、中国明朝の滅亡、そして外族による清朝の中国統治を経験しました。そして、大陸での「反清復明」の拠点を失い、清朝への反抗拠点を確保するために、台湾に渡ってきました。鄭成功及びその軍隊が台湾を制圧したことで、オランダの植民地支配から台湾を解放しました。史上初の漢民族による台湾統治という歴史評価を得ましたが、1683年に清朝へ降伏するまで、鄭氏の台湾政権は一族3代の23年間で終焉を告げました。

 鄭成功は、明の皇帝の姓である「朱」を授けられたことから、「国姓爺」と呼ばれています。独自の台湾経営を築いた功労で、死後、彼を慕う人々から「開山王」「開台聖王」と呼ばれ、「開山王廟」を建てて祭祀されています。1875年、清朝の大臣・沈葆禎は来台視察後、明の遺臣として朝廷に「明延平郡王祠」を建てるように進言したことで、現在台南の重要な史跡である「延平郡王祠」の構内に、福州式建築の祠が建てられました。

 1895年の日本の台湾領有以後、日本人は、鄭成功を祭神とする「開山王廟」を「開山神社」と改称し、1897年にそれを県社に列格しました。「開山神社」は台湾で最初に建てられた神社だと言われています。構内の中庭には、新たに日本式の拝殿が増築されましたが、戦後、国共内戦で敗れ、大陸から台湾に移ってきた国民党政府によって、全て中国式に改築され、今日に至っています。

 現在の「延平郡王祠」の外側には、公園、竜の噴水、植木があります。奥へ進めば、まず周りの環境とアンバランスなコンクリート製の国民党党徽の牌坊が目に入ります。日本統治時代の「開山神社」の鳥居の跡に新たに建てられたものかどうか分かりませんが、その牌坊の真ん中にある「胆義肝忠」及びその後ろ側の門に掛けてある「前無古人」という額からすると、鄭成功の「忠義」の孤臣像がうかがえます。

 
「延平郡王祠」の外側公園(大紀元)

「胆義肝忠」牌坊と後ろ側にある「前無古人」の額(大紀元)

さらに進むと、真正面から迎えてくれるのは正殿です。正殿は三進双護竜の建築です。正殿に近づいてみると、線香炉には、一般の廟のように小さい線香がいっぱい差し込まれているのではなく、大きい線香が1本だけ立てられています。視線をさらに奥へ移すと、鄭成功の文人姿の座像が見えます。

 
「延平郡王祠」正殿(大紀元)

シンプルな線香炉(大紀元)

鄭成功座像(大紀元)

正殿両側の護竜には、当時の井戸が残っており、また日本式のお神輿も展示されています。お神輿はペンキの色もよく、保存状態がよいようです。正殿の裏には、「太妃祠」と「寧靖群王祠」があります。珍しいことに、母の田川氏の写真が飾られており、位牌も祭られていました。ほかには、息子の寧靖王と5人のお妃の位牌、将軍像も納められています。ただし、父の鄭芝竜は、明の政権から離れ清朝に投降したせいか、「延平郡王祠」にはそのお話や写真などはありません。一方、明朝時期の大陸に渡った田川氏、及び台湾に渡ってきた鄭氏一族は、清の軍隊に追い込まれ最後に自殺したことから、後世に位牌を立てられたりしており、両者の歴史的な評価は明確に異なっていると思われます。

 
日本式のお神輿(大紀元)

母の田川氏を祭っている「太妃祠」(大紀元)

「太妃祠」の壁に飾られている田川氏の写真(大紀元)

護竜から外に出ると、きれいな芝生が植わった広場があります。すると、その隅から日本の演歌が聞こえてきました。集まっている年配の台湾人たちが歌っていました。田川氏及び鄭氏一族が時空を超えて、揃って現代版の日本語の歌を聴いていることでしょう。再び入り口に戻り、離れようとしたところ、遠くの2、3台の観光バスから降りて、奥へ移動しながら記念写真を撮る人たちがいました。日本人観光客です。

 
外側の広場(大紀元)

鄭成功とは同じ時代ではなく、しかも、互いに知り合いではない日本人と台湾人が、この地で会えるのは不思議です。中日混血の鄭成功は、台湾人、中国人、日本人にとって、それぞれ違う立場に立っているのだろうと思います。ただ、日本植民地時代から戦後の時代を経て、異なる政権の下でも、鄭成功は、台湾、日本、中国の人々にとって誇り高き英雄として教科書などで取り上げられてきました。イギリスにも、鄭氏政権を「台湾王国」あるいは「フォルモサ王国」と記述する史料が残されています。それまで明確になっていなかった「台湾」は、初めから明の亡命政権として、結果的には清朝、中国、日本、国民党政権の版図として納められました。政治的にも、歴史的にも、心情的にも、精神的にも、鄭成功の事績は時空を超える存在です。鄭氏一族の在台政権も歴史上の位置付けとそれなりの意義を有しています。 

(蘇燕)


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