THE EPOCH TIMES

【ぶらり散歩道】ー熊本篇ー古代の山城:鞠智城(きくちじょう)

2010年09月30日 07時00分
 【大紀元日本9月30日】今回は、古代の山城と古代米を訪ねて、熊本県北部の山鹿市(やまがし)へ遊びに行ってきました。そこで、ちょっぴりお勉強もしてきました。

 7世紀、百済へ援軍を出した日本は、663年に「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍の前に大敗してしまいます。今度は日本が戦場になる危機に直面し、大和朝廷は大宰府を守るため、大野城(福岡県)・基肄城(佐賀県)・金田城(長崎県)を造りました。そして、これらの城に食糧・武器・兵器を補給する基地として、鞠智城(きくちじょう)が完成したのです。

 鞠智城は、周囲の長さ3.5キロメートル、面積55ヘクタールの規模をもつ山城。昭和42年より始まった発掘調査により、72棟の建物跡や貯水池跡・土塁跡などの遺構が発見されました。こうした発掘調査をもとに、平成6年から4棟の建物(八角形鼓楼・米倉・兵舎・板倉)が復元されました。

 また、鞠智城に隣接する水田には、鞠智城の国営公園化を目指す期成会から依頼を受けた地元農家が、5年前から古代米を栽培しています。古代米の赤い稲穂を前に八角形鼓楼を望むと、いにしえのロマンをかきたてられます。
白米に古代米を少し混ぜて炊くと、淡いピンクのご飯ができる(大紀元)


古代米は赤い色の稲穂が特徴。このあと、黒く変色していく(大紀元)


建物の中はほとんどが柱。一層目に49本 2、3層目には16本の柱が使われている。八角形鼓楼には階段がなく、梯子を使って上り下りする(大紀元)


八角形鼓楼(ころう)。三層造りで、高さは15.9メートル。 最上階に置いた太鼓で時間を知らせるほか、見張り台としての役割もあったという(大紀元)



(文/写真・佐吉)


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