THE EPOCH TIMES

生花の力=上海マンション火災

2010年11月26日 10時40分
 【大紀元日本11月26日】11月21日は15日に発生した上海マンション火災で死亡した人々の「頭七(初七日)」だった。中国の伝統的な習慣では、死者の魂は初七日に家に戻ると考えられている。当日は朝早くから献花に訪れる人の列が膠州路、余姚路、昌平路、常德路、延平路と数キロにわたり伸び、10万人以上の市民が献花に訪れた。それだけではなく、火災後一日目から自発的にマンションの前に花を手向けていく人が後を絶たない。

 ネットユーザーの宋剣鋒さんは、上海の人々に感服し始めている、とウェブ上で自分の心情を表している。山西や河南などではあれほど何度も災難(鉱山事故)が起きているのに、感覚が麻痺した人々はそれに耐え、受け入れており、自発的な哀悼はない。鉱山労働者の家族でさえ、冷淡にその現実を受け入れてしまっている。中国の大都市、上海の人々だけが生命に対する尊重の意を示した。彼らは生命の尊厳を捨てず、放棄していない。ウェブで不平等への不満を表し、権利は自分で勝ち取るものだ、と書き込んでいる。

 また、ある記者は、何年も上海にいるが、今日見たようなことをこれまで上海で目にしたことはなかったと語る。火災後4日目でも、人々は依然として火災の起きたマンション前に献花し弔っている。また、身なりからホワイトカラーと思われる人々も昼休みにやってきて、生花を手向け、一礼してからまた急いで立ち去って行く。

 市の上層部の態度は明らかに役人同士のかばい合いだが、我々が生花で街路を一杯にした時、彼ら(役人)は民心を見るだろうと記者仲間は言っていた。

 チェコのロックミュージック『100%』の歌のなかに「彼らは老人の記憶を恐れている。彼らは若者の思想や理想を恐れている。彼らは葬儀を恐れ、墓の上の生花を恐れている」という歌詞がある。上海の政府メディア・解放日報に掲載された「市幹部、火災の犠牲者の家族を慰問」という記事は合わせて527文字(中文)の文章だ。この中には市幹部の氏名が33回も出てくる。残りは上海市委員会書記と市長の演説だ。ひとりの死者の名前も、遺族の声も出てこない。

 作家の笑蜀は「社会で最も怖いのは死人ではない。死人や大規模な死人でさえも何も変えることができないという事実が最も恐ろしい。どの悲劇も哀悼の意を捧げるだけでは変えることはできない。生命を以てしても黎明への道を敷くことはできず、生命を以てしても夜の扉を破ることは出来ない。これこそが最大の悲しみである」と述べている。しかし人々は上海市民が死者に捧げた生花の中に変化を見つけている。

 ある上海市民は2日続けて同じ花売りから菊を買った。1日目は1束10元だったが、2日目はわずか5元で売っていた。なぜこんなに値段を下げたのか尋ねると、ここの通りの花売りが自らの気持ちを示したいから、皆で値段を下げたという。今日の白菊の卸値の1本1.4元で計算すると、彼らは1束売るごとに2元損失している。

 財経新聞の記者である趙何娟さんはブログのなかで、現場での出来事を語っている。厳戒態勢を敷いた警察は、献花をしている私を家族エリアの警戒線から押し出そうとした時「どこの家族、どこの部署のものだ。出ろ!」と声を張り上げた。私が必死で押し出されることを拒んだら、傍にいた遺族の方が私をきつく抱きしめ、「私たちは家族です」と言ってくれた。私が声をあげて泣きながら「私たちは家族です」と言うと警察は去って行った。

 警察が路上で人々の弔いへの気持ちを断ち切ろうとし続けていることに対し、不満を抱いていても、数万人の市民らは依然として秩序を持って並んで献花していた。誰一人として言い争ったり、騒いだり、笑ったりしていなかった。

 午後、ある老人はマンションの向かい側にある石段に立ち、施政業績を上げるための政府のプロジェクトと救援努力の不足について大声で質疑し始めた。次第に集まって来た人々は絶えず拍手を送った。話し終えると老人は、自分の身分証明書をとりだし、恐れずに身分を公表した。彼は自分に質疑するという正常な公民の権利があると主張した。

 ネットユーザーはこんな風に話している。

 「最初に献花した人が誰なのか、ずっと知りたいと思っている。別に名前は重要ではない。その人は平凡な人かもしれないが、上海市民の良心、意識、理性を代表したのだ。もし、適切な形で、その人を割り出すことができれば、全ての人は彼に感謝するだろう。なぜなら彼は声なき喚声を最初に挙げたからである。何の変化がなくても我々は彼に感謝するだろう。なぜなら彼は全ての人に公民の中の勇気と願いを見せ、多くの人にいままでの幻想を捨てさせたからである」

 「生花を上海の大通りいっぱいに敷いて下さい。私は必ず膠州路に行って私の花を1本捧げます。皆で献花することで、彼らには慈しみがなく、我々に義があることを知らしめます」

 また、ある若い女性は献花の場所で「人在做天在看(人の行いを天は見ている)」というスローガンを掲げていた。

 生花の力は拳銃、強権をはるかに超え、打ち破れそうもない力を上回る力だと思う。それはつまり人心の覚醒である。

(作者・夏小強/翻訳編集・坂本)


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