THE EPOCH TIMES

【漢詩の楽しみ】 遊山西村(山西の村に遊ぶ)

2010年11月13日 07時00分
 【大紀元日本11月13日】

莫笑農家臘酒渾 豊年留客足雞豚
山重水複疑無路 柳暗花明又一村
簫鼓追随春社近 衣冠簡朴古風存
従今若許閑乗月 拄杖無時夜叩門

 笑ふ莫かれ、農家の臘酒(ろうしゅ)の渾(にご)れるを。豊年、客を留めて鶏豚足れり。山重なり水複して、路無きかと疑へば、柳暗く花明らかにして又一村。簫鼓(しょうこ)追随して春社近し。衣冠簡朴にして古風存す。今より若し閑かに月に乗ずることを許さば、杖拄きて時と無く夜門を叩かん。

 唐から数百年が下った南宋のころ、作詩数およそ1万首を数える大詩人が出た。陸游(1125~1209)である。李白の詩でさえ約1千首であることに比べると、いかに彼が多作の人であったかが知れるだろう。

 詩に云う。農家が師走にしこんだ酒を、濁り酒と笑いなさるな。去年は豊年で、客をもてなすに十分な鶏と豚もある。山が幾重にも重なり、川の流れが複雑になっていて、もう進む道も消えてしまいそうな時、柳が生い茂り、明るく花が咲いている村にまた出会った。笛と太鼓の音が聞こえるのは、春の祭りが近いからか。村人の服装は質素で、昔の風格が残っている。これからも、月が出た折にのんびりと訪ねてきてよいのならば、私は杖をつき、時も定めずに、夜あなたの家の門を叩きますぞ。

 この詩の第2聯にある「山重水複疑無路、柳暗花明又一村」は、古来より名句として知られている。実はこの時、43歳であった作者は官界を批判したことで初めて免職となり、田園での静かな暮らしに入っていた。そのことが詩の背景にあって、奥深い山中に分け入った自分が思いがけず美しく豊かな村を見つけ、素朴な村人とともに楽しく過ごしたという桃源郷ストーリーになっているらしいのだ。

 陸游が生まれた翌年、北宋の首都であった汴京(河南省開封)は、北方の異民族王朝である金に占領され、その翌年には天子欽宗とその父徽宗が金の捕虜となって連れ去られるという大事件が起きている。

 中国の北半分を奪われた宋王朝は、以後、南宋の時代へ入る。陸游は、その85年の生涯を通じて失われた国土の奪還を願い、金に対する徹底抗戦を叫び続けた。彼がまた憂国の詩人と呼ばれる理由はそこにある。

 また陸游は、生涯に確認できるだけで4回の免職処分を受けている。その中には水害に遭って困窮する農民のために、独断で官有米を供出したことで招いた免職もあった。

 詩人にして、なかなかの気骨漢であったようだ。

 
(聡)


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