THE EPOCH TIMES

【党文化の解体】第5章(15)

2010年11月11日 12時19分
 【大紀元日本11月11日】

4.党に言われる通り何でもやる
 4)飲まざるを得ない苦果


 中共は不定期的に各種の政治運動を発動する。毎回の運動は巨大な災難をもたらす。これらの運動が発動されることが可能になる理由は、人々が自己の判断を放棄し、「党に言われる通り何でもやる」の思惟方式をするからである。「党に言われる通り何でもやる」は頑迷固陋に中共の闘争の哲学について行き、中共の天地人と戦うエネルギーを大きく増強させた結果、中共の各種の統制目的を実現させた。

 大衆は中共について人殺しをし、「地主」「資本家」「知識人」数百万人の命を奪った。大衆は中共について大躍進運動を行い、餓死者数千万人を出した。大衆は中共について文化大革命を行い、中国社会はこれにより前代未聞の文化的破壊と人間性の頽廃を経験した。大衆は法輪功への迫害へ追随することにより、中華民族は史上最も悲惨な信仰弾圧を演じてしまった。

 
中共による法輪功学習者生体臓器摘出(イラスト=大紀元)

地主、富農およびその子孫まで殺し尽されることや人食い惨事、処罰される前に喉が切られる張志新、正式な法律の手続きなしで収監され迫害を受け死に至った元国家主席・劉少奇、これらの大惨事から生体臓器摘出される法輪功の学習者への迫害まで、一体これからまだどのぐらいの教訓をもって大衆に、中共の「党に言われる通りにやる」の洗脳奴役から脱け出せ、二度と中共について悪事を働かないように説得することができるのであろうか。

 「党に言われる通り何でもやる」と言う奴隷のような役の中で、中国社会の大衆は皆被害者である。中共に緊密について行く人であればあるほど、被害の程度が酷いものである。

 貧困地域に対する中共の呼称は「老、少(少数民族地区)、辺(辺境地区)、窮(貧困地区)」である。所謂老とは、中共がかつて作り上げた「農村革命根拠地」のことだ。中共が政権を収奪できたのは、広大な農民たちによる金銭的援助、食料的援助と命かけの支援があったからだ。陳毅は「淮海会戦の勝利は、大衆が押し車で押し出したものである」と言ったほどだ。中共建政後、恩を受けながらそれに報わず、現地の農民たちの生活を改善のための努力をもせず、そればかりでなく、逆に農民への徴税は緩和されたことも一度もなかった。戸籍制度を持って農民をその土地に縛り付けるばかりでなく、目下、先祖から引き受けた土地を強制的に取り上げ、更に高値で不動産開発業者へ売り込む。現下中国の大部分の貧困地域はほとんどかつての「革命地区」である。何十年も過ぎ去ったが、これらの地域は中共建政前よりも更に貧困になってしまったのである。

 陝北(陝西省北部)は中共の旧「革命地区」である。陝北の粟は中国共産党を救った。中共中央は陝北で10年ほども滞在していた。樹を伐採し尽し、草を掘り尽し、粟を食べ尽し、人を使い尽くし、陝北の百姓は中共のために大きな犠牲を果たした。「改革開放」後、陝北は大型のエネルギー資源が発見され、中共は「国家採掘」の名目で大規模な採掘を行い、しかしこの資源をその他の地域へ調達され、資源開発により得られた利益は皆中央企業に帰し、現地の百姓は引き続き中共による搾取を受けた。

 中共は労働者階級の先鋒であると自称する。政権収奪時に労働者を利用して労働者運動を行い、武装闘争を行った。反右派闘争の時、労働者に意見を述べさせ、労働者を反右派闘争の強固たる盾に使わせた。文化大革命の時、「労働者階級文化宣伝隊」を組織し、武装闘争により残された乱脈を後始末に利用された。「四五運動」(注1)を弾圧した時、労働者を利用し、「労働者ピケット隊」を組織した。1989年の学生による民主化運動の時、労働者を抱き込んで中共の統制のために利用された。

 中共建政後、労働者について行ってもらい、階級闘争のための道具として利用させ、党のために働かせるため、中共は中国の労働者に「鉄飯碗」(「大鍋の飯」を食わせる終身雇用制度)、社会保障と社会政治的地位を与えた。しかし「改革開放」後、一部の人が先に富んでいき、この一部の人は太子(プリンス)党、官僚、ホワイトカラー、エリートを指すものであった。中共のシンクタンクが披露したように、金融、外国貿易、国土開発、大型プロジェクト、証券の5分野において主要職務に勤めているのがほとんど太子党であるという。中国の富豪たちの9割以上が太子党で、そのうちの2,900以上の太子党が保有する財産は2兆元に達する。これに対し、かつて「党に言われる通り何でもやる」、汗と青春を党に捧げた労働者は、この一生「鉄飯碗」を享受することができると思っていたが、党は悔しむことなく彼らを見捨て、名目上きれいな名前を付けて―「下崗」(注2)(一時帰休)という。国有企業の労働者数千万人が失業し、労働者は職を失うと同時に、住宅、教育、医療保険、退職金などを含む一切の社会保障も失ってしまう。これだけでなく、労働者の次の世代に対する希望を無情に破られ、大学の授業料は一般の労働者の家庭では負担できないほど高く、何とか卒業させることができたとしても、コネをもたない労働者の子供たちは良い仕事を見つかるのも至難の業である。

 軍隊は中共の命脈であり、党は銃(軍隊)を指揮する。党が指すところに銃が向けられる。士官や兵士にとって言えば、党に言われる通り何でもやると言うことは鉄の法則のようなものだ。中共軍隊の復員軍人条例と待遇規定はすべて中共中央軍事委員会総政治部が政策条文の形で頒布され、随時に変わる。国家法律による明文化規定の保障もなければ、全国復員軍人を統括する行政部門も存在しない。中共が使い終わったら、そのまま社会へ投げ出し、復員軍人は「来たところへ戻る」と言うことにさせられ、基本的にはその後の社会福祉を受けることができない。負傷して体が不自由になった軍人の状況は尚更のことである。党中央へ上申しても焼け石に水である。北京への上申書が上級から地方へ戻され、地方の官僚は「これらはくず紙だ」「国連へ上申しても無駄だ」と見下げるかのように唾を飛ばす。

 抗美援朝(朝鮮戦争)を参加した老軍人は、軍隊へ残った人と戦死した人以外のものは、その家族の生活は基本的には保障されていない。負傷して一命を留めた軍人は皆農村へ戻り、貧乏に苦しみ尾羽打ち枯らし、悲惨な老後を送った。俘虜になり後から帰国した人は、二、三十年も頭が上げられずに暮らしていた。中越戦争のとき、当時の所謂「孤胆英雄」「一等功臣」の今の生活は誰も知らない。戦死した兵士と下級士官の遺族への救済金は800元から1,000元程度であるが、一回払い後の遺族の生活を知る人は誰もいない。雲南省の麻粟坡にある烈士公園墓地に957名の中越戦争に戦死した兵士の遺骨を納めているが、そのうち300を超える遺族が20数年間墓地へ訪れることはなかった。旅費がないから行けないのがほとんどであり、中の一部は片道の旅費しかもたない人もいた。

 「党に言われる通りに何でもやる」は今日的の表現の一つは財産や富への追求である。何故ならば人々が物質的利益を追求する代わりにその他の利益を手放すことが中共の望むところからである。そのうえ、中共は以前の「搾取階級を撲滅する」政策を改め、資本家でさえ党員になれる。平均保有財産22億元の中国の超上級富豪のうち、党員の比率はなんと48.5%に達し、半数近くの超上級富豪は共産党員である。しかし、党の経済的道具と化して、党のために忠誠を尽くし苦労をした後、一旦利益の山分けがうまくいかなければ或はどこかで賄賂が行き届かなかったら、即牢獄の災いを直面する。牟其中、楊斌、周正毅、李経緯、張海、等等次々と刑務所へ入る。「中国の富豪番付け」は「中国の囚人番付け」と代わるぐらいである。共産党を利用して富んできた人は、次々と自分たちの子供と財産を海外へ送り込む。何故ならば教訓は実に多すぎるからだ。「三十年河の東、三十年河の西」、当年共産党を擁護した「資本家」たちは、財産をすっかり蕩尽させられ、妻離子散させられたのが典型な事例である。

 
勤労労働者が中共によって強いられる選択(イラスト=大紀元)

上記の部分は碾臼を下ろして驢馬を殺すといったような手口だ。肝心なときになった場合、中共は自己保全のためには使える道具でさえ犠牲にしても悔しまない。文化大革命収束後、全国の軍管轄幹部17人、警察793人合わせて810人が雲南省へ連れられ秘密に銃刑を受け殺した。家族を騙すため、「公務のため殉職」の通知を渡し、内幕を隠ぺいするため人殺しする。当時に北京公安局の局長劉伝新は既に追及が始まる前に自殺した。偶然ではないが、同じことが再度現れた。江沢民も以前、米国の腹心を通じて法輪功学習者側の意図を探ったようだった。条件は文革と同じように法輪功の学習者を迫害し死に至らせた警察を銃刑する替わりに、法輪功側からの江への起訴を取り止めてもらいたい。更に、この交換条件は文革よりも厳しくしても構わない。迫害で死んだ法輪功学習者の数だけ警察を殺してもよいとのことだった。

 暦次の歴史的重大な山場を迎える際に、中共はいつも「善を放棄し、悪を施する」行動特徴を現す。しかし、中共は悪事を働くためには個人の共産党員が必要とする。中共が崩壊した後、その罪の責任を負わなければならないのは当然共産党員それぞれの個人となる。これも当年ナチス・ドイツ敗戦後のニュルンベルクでの大審判を受けたのはナチスの党徒であるそれぞれの個人であると同じことだ。言い換えれば、それら「党に言われる通り何でもやる」、「上からの命令だ」「公務の執行だ」という理由で、中共のために悪事を働く人は、今のうちは中共政権に依拠しその保護を受けることができて、一時的に正義による審判を逃れることができたとしても、中共が崩壊後、すべての人が法に裁かれ正義の審判を受けざるを得ない。そのときになったら、中共からの保護を受けることは最早できなくなっている。

 
江沢民へのグローバル審判(イラスト=大紀元)

それだけでなく、人間社会の法廷上以外に、天理の法廷が存在している。善悪には報いがある。それは人の意思によって変わらぬ自然界の法則である。中国の伝統的文化の中で、道家には「禍福無門、惟人自召」(禍福は門なし、人が自ら招くなり)、佛家には「善悪之報、如影随形」(善悪の報いは、影の形に随うが如く)をいう。人は自分が何をやっても、最後に必ず自分がその結果を承らなければならない。一般庶民には「善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあり、報われないのは時間の問題だ」という。古今東西、善悪に報いがあるという事例は枚挙に遑がない。歴史上から見ても、中共の道具となった人は、当時は如何に風光であったとしても最後には皆悲惨の結末を迎えていた。これは天理による報いの体現ではないだろうか。

 人性の中には、もともと善悪同存しており、大きな山場を迎えるときには、人間は常に心理的な善悪の交戦が交している。共産党員の場合は状況がもっと複雑になる。何故ならば、党員には皆「党性」と「人性」の二重人格を持っているからである。「党の話を聴き、党について行き」「党に言われる通り何でもやる」、中共の独裁利益のために呼びかけられたものは、抑圧的で、人性を滅亡させるような悪事である。悪行の限りを尽くす共産党が急速に滅亡に向かっている今日、固執に「党の話を聴き、党について行き」、「党に言われる通り何でもやる」ことをするのは実に自己に対して最も無責任のやり方である。

 人性の中の善の一面を守り、党性ではなく正念を持って自己の行いを主宰し、中共から離脱し、自己の身の上にある党文化の痕を洗浄してからこそ、自己のために明るい未来を選択することが初めてできるようになる。

三退を求め、平安を求める(イラスト=大紀元)

注1:「四五運動」とは、1976年に起きた民主化運動。
注2:「下崗」とは、労働者は所属企業から一時帰休させられたことを言う。国有企業をはじめとする所属企業の経営悪化等の客観的理由により、労働者は職場から一時帰休させられ、所属企業との労働契約を保持できるが、労働契約が切れると、下崗労働者は解雇を経ずして正式な失業者となる。

 (第5章完)

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