THE EPOCH TIMES

交通事故で変わった私の人生 (一)

2010年12月30日 07時00分
 【大紀元日本12月30日】佛法というと、何を想像するだろうか。単に苦しみを慰める教えに過ぎないのか、それとも真に起死回生のチャンスを人間に与えてくれるのか。以下に紹介するのは、米コネチカット州に住む戴宜ウェイさんが法輪功という佛法に出会い、難病の繊維筋痛症から奇跡の回復を遂げた話である。

 ――私は台湾で生まれました。幼いころから近所に住むお年寄りや親戚の人に可愛がられ、幸せな幼少時代を過ごしました。学校での成績もよく、先生たちからも人気がありました。隣近所の人たちも私を器量がよいと褒め、「小さな美人」と呼んでいました。大きくなってからは台湾で最もよい大学へ進学し、卒業後は留学して生物技術のマスターとコンピュータエンジニアのマスターを取得しました。仕事は私から探す必要もなく、向こうから私のところへ舞い込んできました。私は、「自分はとても運がいい人なのだ」と信じて暮らしていました。私が財布を落としても、誰かがそれを拾って私に届けてくれるのです。しかし、何もかも順風満帆だった私の人生は、30歳になった年に大きく変わりました。

 
台湾大学を卒業した時、家族と一緒に(写真=戴宜ウェイさん提供)

突然の交通事故


 「9・11」の後、米国は不景気に見舞われましたが、私の所へは大学院を卒業する前から仕事の話が舞い込みました。給料が良く、福利厚生も整った職場で、同期の友人たちは、私の運がよいことをうらやましく思っていました。しかし、就職して一カ月経ったある日、仕事を終えて車で帰宅している途中、事故にあいました。後ろから車が衝突してきたのです。車は完全に壊れ、私自身も重傷を負いました。身体の表面には問題がなかったのですが、内傷があり、軟部組織が傷つけられました。X線写真で見ても大きな問題は見つからず、少し脳震とうを起こしただけでした。

 医者は私に帰宅して一カ月休むようにと言いました。しかし、一カ月経っても回復せず、身体のあちこちが痛くなりました。医者は、「休み続けると更に悪くなるから、必ず身体を動かしてください。人は動かないといけません」と私に告げました。そのため、私は仕事に復帰することにしました。

 数カ月後、私の体はますます悪くなりました。はじめは身体の左半分が痛くなり、寛骨の関節、膝関節、手首の関節など、最も衝撃を受けた部分が痛くなりました。その後も少しずつ悪化し、すべての関節が痛くなり、それは全身に広がりました。その後、歩くことも難しくなり、一歩歩いたら一分休み、また一歩進んで一分休みました。私は怖くなって仕事をやめ、主人をひとり米国に置いたまま、台湾に戻って漢方医に診てもらうことにしました。

 全身の関節の位置がずれる

 知人の紹介で、有名な漢方医を訪ねました。彼は私を見るなり、質問もなしに私の関節を一つずつ触り、触り終わったらそれをすこし引っ張りました。私の全身の関節を引っ張った後、私の痛みは全て消えていました。これは一体どういうことでしょうか。彼は私に教えてくれました。「あなたの関節の位置が全てずれていたので、あなたは痛みを感じていたのです」

 「でも、X線写真では問題なさそうに見えたのですが」と私は聞きました。医師は、「あなたの関節のズレは、X線でわかる範囲ではなかったので、見つからなかったのです」と答えました。彼はさらに、「あなたの傷は古いので、回復に時間がかかります」と教えてくれた。

 靭帯はすでに関節を固定することができなくなっており、位置ずれが起きました。この症状が起きると、私はその漢方医を訪れ、位置ずれの起きた関節を元に戻さなければなりません。あまりにも頻繁に医師を訪れなければならないため、父は私を連れて、医師の自宅付近にアパートを借りました。数カ月後、医師は私に身体を回復する運動を教えてくれました。

 この運動をすると、常に位置ずれが発生しました。するとまたその漢方医を訪れ、関節を元に戻し、運動を続けました。また位置ずれが起こると、彼のところへ行って、関節を元に戻しました。その過程はとても苦しく、私はドアを開けたり、自分で衣服を着たり、碗を手に取ることもできず、全身の関節が痛みました。

 モルヒネに頼って痛みを止める

 更にひどい症状が現れました。神経性の後遺症で「繊維筋痛症」という病気にかかり、痛覚神経が不調になってしまったのです。基本的な生活さえコントロールすることができず、呼吸、体温調節、血糖調節などすべてが狂いました。

 私は時々、気を失いました。最も症状がひどかったのは5月のある朝のことでした。病院のベッドで苦痛のあまり、目を覚ましました。看護婦にモルヒネを持ってくるよう頼もうとしましたが、声が出なくなりました。その時、私は声を出すという行為のために、どれほど多くの体の細胞を動かさなければならないのかを知りました。一つ一つの細胞が痛みを感じ、すべての意志とエネルギーが苦痛に耐える中で、声を出す力もなくなっていました。

 末梢神経のすべてが痛み、その程度は日増しに強くなっていきました。その時、私の痛みを癒してくれるのはモルヒネだけだったのです。私はこうして毎日、一日中痛みとともに過ごしながら、不幸な自分を嘆きました。一方、もしモルヒネ中毒になってしまったら、さらに悲惨な状況になるでしょう。完全に痛みが取れなくても、我慢して薬は少量にとどめました。

 現在の西洋医学では、「繊維筋痛症」に対してなすすべがありません。ただモルヒネで痛みを止めるしか、治療法がありません。中枢神経の痛みには、毎日十数粒の薬を飲みます。私は一緒に入院している患者が、それを飲むと気分を悪くし、胃の具合も悪くなることに気づきました。私はこれらの薬は寿命を縮めるだけだと疑いましたが、一日も止める事が出来ませんでした。他に、方法がなかったのです。

 (続く)

 (翻訳編集・平凡)
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