THE EPOCH TIMES

【呉校長先生の随筆】 ーあだ名大作戦ー

2010年12月13日 07時00分
 【大紀元日本12月13日】誰でもあだ名を持っている。私が最初に生徒たちにつけられたあだ名は、名前(雁門)にちなんで、「アヒル」。変わったあだ名だったが、少なくとも朱先生の「エロ男(エロオ)」よりはマシだと思った。

 あだ名を作ってはからかう生徒たちの中で、毎朝7時に登校する3年生の林くんは特にいたずらが好きだった。学校に着くと、真っ先に私のオフィスへ直行し、私を観察する。これが2週間も続き、まるで「教育と補導理論」の実務試験で私の実力を試しているかのようだった。いつものように、林くんの視線を感じた私が机から顔を上げると、彼は「アヒル」と大声で叫びながら早足で逃げた。途中で何度も「アヒル」「アヒル」と叫ぶのだ。少し耐えられなくなった私は、彼のいたずら好きな習慣を変えてやろうと考えた。

 次の日の放課後、私は林くんをつかまえると、少し怯えた様子の彼の肩を押さえながらオフィスに連れて来た。オフィスに入って窓を閉め、ドアをロックする私を見て、林くんは顔を真っ青にしてもう2度と冗談は言わないと素直に謝った。私は、「冗談を言っても大丈夫だよ」 と返事をした。

 私は飲み水を用意してテーブルに置き、グランドに面している反対側の窓を開けて言った。「ここなら大きい声を出しても周りには届かないから安心だ」。ひどい体罰を受けることを覚悟していた林くんは、全身の力が抜けてしまったようだった。「君には3分間を与えよう。グランドに向かって、大声でアヒルと叫びなさい」。林くんは首を横に何度も振り、「校長先生、できません」と繰り返した。私は彼の肩を軽く叩き、水を差し出して、大声を出すように励ました。

 林くんは仕方なくカラカラになった喉で何度か叫んでみたが、緊張しているせいかうまく声を出せなかった。3分後、私はドアを開けて林くんに、「では、明日は5分まで時間を延ばそう」と言葉をかけて彼を送り出した。彼は唖然として、頭を抱えて教室に戻った。

 それから2日間、私は林くんに会えなかった。3日目になって、私は学校の売店の前で彼にばったり会い、オフィスへ連れていった。私がここ2日間、ずっと彼のことを考えていたことや、会えて嬉しかったことなどを話した。すると彼は、「校長先生お願いです。もう僕のことを考えないでください。僕は会いたくないのです」と話し、ここ3日間は一度も私のあだ名を口にしていないと付け加えた。

 私は彼の話に動じず、オフィスの窓を閉めてドアをロックし、飲み水を用意して励ましの言葉をかけた。そして、彼が5分間繰り返した後、お礼を言って入口まで見送った。彼に「良くなったね。では、明日は7分間に延ばしましょう」と話した途端、彼は恐ろしく感じたのか、何も言わずにその場を走り去った。

 さらに1週間が過ぎ、相変わらず朝早く学校に来ているはずの林くんは私を避けるようになった。「エロ男」の朱先生は補導が成功したと喜んだが、私はなぜか急に悲しくなった。子どもたちが自分のあだ名が好きであれば、呼ばせれば良いのだ。いわゆる生徒への「行動矯正法」で天真爛漫な子どもたちを脅かしてしまうまでもないと考え、教育の本質とは何なのかと再び考えさせられた。そして、私はある行動に出た。

 私は3年生が行うスポーツ競技に参加し、林くんのクラスのチームに入れてもらった。そして、彼にバスケットボールとバレーボールチームの専属チアリーダーになってもらい、私がボールを取った時には全員を率いて大声で「アヒル、アヒル、頑張れー」と応援することを頼んだのだ。百人の声の迫力に私まで感動した。

 時はあっという間に過ぎた。数年後のある日、オフィスで書類に埋もれていた私は入口の外に一人の青年が立っているのに気づいた。もう二十歳を過ぎた、林くんだった。あだ名のことで、私に謝りたいのだという。

 私たちはいろいろ話した。帰りに、私は林くんと握手しながら、「本当に良かった。では、明日は時間をさらに10分に延ばしましょう」と冗談を言った。彼はガハハと大笑いしながら、「必ず来ます」と答えてくれた。

 私は林くんの背中を見つめ、「私が子どもたちを変えたのではなく、子どもたちが私を変えたのだ」 と思った。

 ※呉雁門(ウー・イェンメン)

 呉氏は2004年8月~2010年8月までの6年間、台湾雲林県口湖中学校の第12代校長を務めた。同校歴代校長の中で最も長い任期。教育熱心で思いやりのある呉校長とこどもたちとの間に、たくさんの心温まるエピソードが生まれた。

 
(翻訳編集・大原)


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