THE EPOCH TIMES

【呉校長先生の随筆】 ーもう一人の息子ー

2011年01月18日 07時00分
 【大紀元日本1月18日】学校の3階の使われていなかった教室が閲覧室に改造されてから、寂しかった教室が急に賑やかになりました。私は階段に近い窓際に自分専用の席を作りました。表向きは生徒たちと親しくするためでしたが、実質上は、いたずら好きの生徒たちに閲覧室でおとなしくしてもらうためでした。

 毎日2時限目の授業が終わると、2年生の男子生徒十数人が私専用の席の横を通ります。すると、いつも「お父さん、こんにちは!」「お父さん、お元気ですか」と親しく挨拶をしてくれます。私はいつも笑顔で彼らを迎えますが、どうしても気になって「お父さんと呼んでもいいけど、絶対にお爺さんと呼んではダメだよ」と何度も頼みました。子どもたちはゲラゲラ笑いながらも理解を示してくれました。時々間違うと、自分の頭を掻きながら申し訳なさそうに言葉を改めてくれます。

 一学期が終わり、私はより多くの子どもたちと親しくなりました。子どもたちに「お父さん、お父さん」と呼ばれる度に、いつも5年前の出来事を思い出します。

 170センチの長身の輝(てる)君は、当時15歳でした。大人のように見えますが、軽度の知的障害児で、学習能力と人間関係の適応力に少し欠けています。彼は無鉄砲で、コミュニケーションがうまく取れないと思う先生もいました。

 ある日、朝礼が終わると、輝君は突然私に向かって「僕の義理の父だ。お父さん!お父さん!」と呼び始め、周りの生徒たちと私はびっくりしてしまいました。実は、輝君はその前日、ある先生に反抗し、学校中に知れわたるほどの大きな揉め事を起こしていました。私は彼に、「お父さんではなく、校長先生でいいですよ」と伝え、さらにこの「親子関係」から抜け出すために、宝(ほう)先生を義理のお母さんとして勧めました。長年教師を務めている宝先生は忍耐力と厳格さを兼ね備えており、きっと私を助けてくれると思ったからです。しかし、輝君はお父さんしかいらないと、義理のお母さんを固く拒否しました。私はさらに、自分には既に3人の子どもがいると強調しましたが、彼はどうしても諦めませんでした。

 その日から、同僚たちは私に会う度に新しい息子が増えたとお祝いを言いましたが、輝君はよくトラブルを起こすので、「補導の専門家」である私の看板に傷がつくと心配でした。そして、私の心配は的中しました。次から次へとトラブルが起こったのです。

 輝君は学校に遅刻すると、校門でチェックする先生に対して、自分の父親は校長だから、遅刻しても記録は取らないでと訴えました。同じことが何度かあり、先生の怒りはついに爆発しました。また、ある日、別の先生が病気で声が枯れていたため、10分くらいの授業の後に、自習にしました。すると、授業終了後に輝君は、あっけらかんと空を見つめながら、「先生は授業中に寝ていた。お父さんに報告する」と何度も繰り返しました。林先生は困った顔で、「息子」をよくしつけるようにと私に訴えました。このようなトラブルが多々あり、私はいつも頭を下げて謝っていました。

 輝君は「お父さん」に尊敬の意を表すために、毎晩10時に私におやすみの電話をすると言い張りましたが、私からの再三の願いでそれはなくなりました。その代わりに、毎日放課後に私のオフィスへ来て「さよなら」をいうようになりました。私は「お父さん」になってからわずか3週間で、すでに神経衰弱になりました。このままではいけないと思い、それからは彼に対して本気で「親子関係」の教育を行い、状況は徐々に良くなりました。

 8ヶ月後、「息子」はようやく卒業しました。彼は進学せずにスーパーマーケットに就職することを望んでいました。しかし、スーパーで特にレジ係として働くには言葉がはっきりしていること、笑顔でお客さんを迎えられること、金銭の取り扱いが正確で速いことなどが求められます。これらは全て、輝君の弱点でした。当然のごとく、彼は何度も挫折しました。彼は自分の能力の問題と興味がもてないことで何事も長続きせず、仕事を転々としました。

 結局、私は「お父さん」としての責任を果たすために、輝君には精神鑑定を受けてもらい、軽度知的障害児の手帳を取得させました。そして、彼を国立の特殊教育学校のレストラン・飲食科に送り、手に職をつけてもらうことにしました。彼にとってはこれがより良い方法であると考えました。

 あれから5年が経ち、輝君は毎年、「父の日」の前日に必ず電話をしてきます。これは私の3人の娘より一足早い電話です。彼はいつも、「僕の面倒を見て下さる偉大なお父さんに、前途洋々、健康で楽しい日々を過ごされますように」と祝ってくれます。毎年、彼の祝う言葉は変わらないし、正しくない時もあります。しかし、輝君のシンプルな親孝行の気持ちが感じられます。

 輝君は、私の義理の息子。軽度の知的障害者ですが、私にとってはとても思いやりがあり、親しみを感じる存在です。

 ※呉雁門(ウー・イェンメン)

 呉氏は2004年8月~2010年8月までの6年間、台湾雲林県口湖中学校の第12代校長を務めた。同校歴代校長の中で最も長い任期。教育熱心で思いやりのある呉校長とこどもたちとの間に、たくさんの心温まるエピソードが生まれた。

(翻訳編集・大原)
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