THE EPOCH TIMES

高智晟著『神とともに戦う』(59)“黄じいさん”の暴力的立ち退きから1年⑥

2011年01月29日 06時36分

 【大紀元日本1月29日】中国で今日発生している、野蛮な暴力を主な手段とする強制立ち退き、およびその他の数多(あまた)の公然と存在する、無辜の公民に対する残忍な悪行は、モラルある社会に恐怖と絶望をもたらした。しかし、これらは表面に現れた罪悪に過ぎない。公民が白昼、暴力に虐げられているのに、全く何の救済もない窮地にまで追い詰められている。根本的な原因はやはり、官と民が結託した権力集団と、憲法がいかなる真の価値を持つことすら許されない憲政システムである。この権力集団は、憲法がいささかも有することすら出来ない「力」を持っている。この社会では、黄じいさんの悲劇は偶然ではないのだ。この権力集団はテロと暴力に対し、絶対的な信仰を持っている。しかもそれは、決してこの1年に始まったことではない。

 こんな西洋のことわざに、「真理こそ堅持せよ。虚言は永遠に変化する」というのがある。中国では「全身全霊を傾けて人民に尽くす」から「3つの代表」「人をもって本となす」「調和の取れた社会の建設」など次々に新たなスローガンが登場してきた。中国人が目にする永遠の変化とは、他でもない次から次へと生まれる美しい掛け声なのである。しかし旧態依然とした権力の残虐性、および助けの手を差し伸べられない無力な公民は、永遠に変わっていないのだ。このような存在こそが、中国社会における最大の危険なのである。

 私のこの文章の最後に、公民である許正清さんが投獄される前に、私へよこした手紙の末尾を引用して締めくくりたい。「起きてはならないことが、ついに起きてしまいました。しかもこれからも起こり続けていくでしょう。これはどれほど恐ろしく残酷な現実なのでしょうか」

 堂々たる大国よ、その天地の大きさよ。それがこれほど卑劣になり、腐敗してしまった。
 騙して勢いを得るに慣れ、迫害して功績とするを好む。
 誠実、信義、原則、人道主義、これっぽっちもありゃしない。
 公民が安心できる住まいと仕事はどこにいった。公民の合法的私有財産の保護はどこにいった。
 公民が提訴し、陳情する権利はどこにいったのか。
 国が尊重し保護するという基本的人権はどこに消えたのか。
 社会の公衆道徳はどこに。政府の責任はどこに。
 法律の尊厳はどこに。裁判官の良知はどこに。
 公平はどこに。正義は一体どこに。

 以上の一字一字が辛酸であり、一語一語が血涙である。
 強制立ち退きの苦しみ、血涙の歴史を誰が知っているのか。
 なぜこのようなことが起こり、こんな理がまかり通っているのか。正義の理、法律の理をもって、先生どうか判断してください。
 

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