THE EPOCH TIMES

【呉校長先生の随筆】 ー未来のトップモデルー

2011年02月23日 07時00分
 【大紀元日本2月23日】モデル志願の蓮(れん)ちゃんは、当中学校に入学した頃、すでに身長165センチでした。明るくて端正な顔つきで、大勢の生徒と一緒にいると、かなり目立ちました。蓮ちゃんは私に会うといつもつま先立ちで、私と背くらべをしました。「2年生になったら、必ず校長先生と同じ身長になるからね」と彼女は宣言していました。

 2か月が経った頃、蓮ちゃんはあまり勉強に専念しなくなりました。言葉遣いが汚くなり、気性も荒くなってクラスメートとよく喧嘩していました。先生と言い合いすることもしばしばでした。

 ある日、蓮ちゃんがまたも私と背比べをしてきました。「校長先生は縮んだのでしょう。後少しで私の身長が校長先生を超えますよ」と宣告してきました。私は「蓮ちゃんの身長が伸びたからだよ」と微笑みました。「台湾のトップモデル、林志玲(リン・チーリン)は既に30歳を過ぎていますね。しかし、蓮ちゃんはまだ13歳、2人の気質は似ているし、そろそろバトンタッチする時期が来たのでしょう。未来のトップモデルが卒業した中学校の校長であることを、誇りに感じます」と私はわざと声を大きくしました。すると、蓮ちゃんは顔を赤らめながら「褒めて頂いてありがとうございます」と言いました。私からの称賛の言葉は、やはり嬉しかったようです。

 蓮ちゃんは勉強が嫌いなので、彼女と話をする時は、林志玲を話題にしました。私は蓮ちゃんを林志玲の「後継者」とニックネームをつけました。私は蓮ちゃんに林志玲は修士学位を持っており、言葉遣いや態度が上品であると話し、林志玲の話し方などを参考にするよう勧めました。トップモデルは決して汚い言葉遣いはしないということを強調しました。私と蓮ちゃんの背比べは2年続き、彼女が中学3年生になった時、とうとう175センチに達しました。そして、私に劣等感を感じさせないように、その後、背比べをしようと言わなくなりました。

 しかし、勉強が大事であることや、汚い言葉遣いをしてはいけないという道理が分かっていても、まだ子どもの蓮ちゃんはそこまで自分を律することはできません。蓮ちゃんはその後、クラスメートの顔を平手打ちしたり、校外で喧嘩したりなどの騒ぎが相次いだことから、彼女の普段の生活が既に変わっていることに再び気づきました。

 私は将来の台湾トップモデルが元の生活に戻れるよう、学校の先生たちに「救出作戦」への協力を呼びかけました。張先生は数学の勉強と日常生活の面で蓮ちゃんの面倒を見、蓮ちゃんの祖母ともよく連絡を取り合うようお願いしました。補導チームのチーフである慧先生は蓮ちゃんの英語、秀先生は家庭科、黄主任はカウンセリングを担当しました。蓮ちゃんは家庭科の指導を受け、クッキング競技で2位を獲得しました。

 ある日の午後、蓮ちゃんはムスッとした顔で私のオフィスに来ました。私はお茶を一口飲んで、落ち着いてから話そうとした時、蓮ちゃんが口を開きました。「今日は、お父さんという役割について校長先生のお考えを聞きたいのです」。家計の問題と親子間の問題が常に蓮ちゃんを悩ませていることは知っていました。私は彼女に説教したくないので、自分と父親との出来事を話しました。

 私は中学生の時、読書が好きでした。「遼河滾滾」の本がどうしても欲しくて、本を買うお金を父親にもらおうとしました。その時、父が申し訳なさそうな表情で「来月買える時に買うよ」と話したことを今でも鮮明に覚えていました。当時の私は、父親に理解を示すことができませんでした。蓮ちゃんが一言も話さないので、私は話しを続けました。

 私は中学卒業後、進学するつもりがなかったので、高校入試の用意は何もしていませんでした。父はそれに対して腹を立て、私に怒りの言葉を浴びせました。その後、私は父親に入学試験の会場に連れて来られ、試験を受けさせられました。父親のその時の怒りと行動がなければ、私は今、教育界にいないでしょう。

 ここまで話を聞いた蓮ちゃんの顔が、ようやく明るくなってきました。恐らく彼女は、誰もが経験する親子間の難しい問題を認識できたからでしょう。多くの先生方の努力と蓮ちゃんの悟りで、3年生に入った彼女は、まるで人が変わったかのようになりました。生活の乱れもなくなり、穏やかさを取り戻し、若さにあふれた少女の姿に戻ったことを、同僚たちも気づきました。

 ※呉雁門(ウー・イェンメン)

 呉氏は2004年8月~2010年8月までの6年間、台湾雲林県口湖中学校の第12代校長を務めた。同校歴代校長の中で最も長い任期。教育熱心で思いやりのある呉校長とこどもたちとの間に、たくさんの心温まるエピソードが生まれた。

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