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(George Lu/Creative Commons)

【漢詩の楽しみ】 春望(しゅんぼう)

 【大紀元日本2月28日】

国破山河在 城春草木深
感時花濺涙 恨別鳥驚心
烽火連三月 家書抵萬金
白頭掻更短 渾欲不勝簪

 国破れて山河在り。城春にして草木深し。時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす。烽火三月(さんげつ)に連なり、家書萬金に抵(あた)る。白頭掻けば更に短く、渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す。

 詩に云う。長安の都は賊軍のために破壊され、あとには山と川だけが昔のままに残されている。その荒れ果てた城内に、また草木が生い茂る春が到来した。しかし、この戦乱の時節に私は感極まって、春の花を見ても涙が落ち、家族との別離を悲しむあまり、鳥の声にも心が動ぜずにはいられない。戦いを告げる烽火(のろし)は三カ月もの間、絶えることなく、遠く離れた家族からの手紙は、なかなか届かないので、万金にも値するほど貴重なものだ。老いと心痛のため、私の髪はますます白く短くなり、もはや冠をとめるピンもさせなくなってしまった。

 杜甫(712~770)の詩は、美しくも悲しい。中国の詩人としては、おそらく最高の称号である「詩聖」として後世に名を残した杜甫であったが、その実人生は、深い沈痛と憂愁に満ちたものであった。

 逆説的に言えば、杜甫の名詩の数々は、その苦難の生涯の中でこそ生まれ得たということになる。彼が、栄達を遂げた人物であったならば、おそらく春の花を見て落涙する情感を詩に残すことはかなわなかっただろう。

 試みに、唐の詩人を二つのグループに分けてみる。王維、韓愈、柳宗元、白居易などは、官吏登用試験(科挙)に合格して出世したエリート組。これに対する試験落第組の代表が、李白、杜甫、孟浩然などである。もっとも唐の頃には、試験に合格しない者でも、伝手があれば補助的な役職に就くことはできた。杜甫などはそれで妻子とともに食いつないでいたのである。

 しかし杜甫にとって不幸だったのは、755年、北方の節度使・安禄山(あんろくざん)が反乱を起こし、長安へ攻め込んできたことである。

 若い頃には英明な君主であり、その治世を「開元の治」と称えられた玄宗皇帝も、晩年には楊貴妃に耽溺し、その外戚の楊国忠による専横を招いて国力を消耗していた。その結果、玄宗皇帝は迫り来る反乱軍の前に長安を捨て、四川省へ都落ちするという大失態を演じるに至ったのである。

 戦乱の間、杜甫は妻子を遠い村へ避難させ、自身は玄宗に継いで寧夏で即位した新帝・粛宗のもとへ参じようとした。しかし、その途中で反乱軍に捕まってしまう。幸い殺されなかったものの長安へ送られ、そこで約2年の間、軟禁されて過ごす。

 「春望」が詠まれたのは757年。自由を奪われたまま長安で二度目の春を迎えた杜甫の、まさしく絶唱だったのである。この時、杜甫46歳。

 900年後、本邦の松尾芭蕉が『奥の細道』の平泉の条に、奥州藤原氏による栄華の昔日を偲びながら、この詩の一節「国破れて山河在り。城春にして草青みたり」を引いているのはあまりにも有名である。芭蕉は、その旅に必ず杜甫の漢詩集を携帯していたという。

 日本人が杜甫の詩を好むのは、あるいは芭蕉以来の「伝統」であるかも知れない。

 (聡)
 

 (11/02/28 07:00)