THE EPOCH TIMES

【ショート・エッセイ】 東風吹かば

2011年03月14日 07時00分
 【大紀元日本3月14日】菅原道真(845~903)が九州の大宰府へ左遷されたのが901年。梅がほころぶ季節であった。

 東風(こち)吹かば、にほひおこせよ梅の花、主なしとて春な忘れそ。

 東風が吹いたならば、その花の香りを乗せて西の大宰府まで届けてほしい。梅の木よ、私がいなくなっても花咲く春を忘れてはならぬぞ。

 そう思いを込めてうたった歌によほど霊力があったのか、道真が愛した自宅の梅が、なんと天空を飛び、一夜にして大宰府まで主を追って来たという。この飛梅伝説が本当かどうかは定かでないが、今日の大宰府天満宮に「飛梅」と称する、樹齢千年を超える白梅がある。

 いずれにせよ、右大臣という国家の中枢にいた要人を、地方官である大宰権帥に大幅な格下げしたのは、当時としてもあまりに異様な人事であった。

 左遷というより実質的な配流である。当然ながら、左大臣側である藤原一族の政治的圧力が存在した。文人であり、学者でもあった道真は、また宇多天皇の信任厚い有能な政治家でもあった。しかも権力に従属せず筋を曲げない性分だったらしく、それが藤原側や他の貴族から疎まれ、また妬まれたのであろう。

 九州左遷の2年後、菅原道真は中央へ復帰することなく不遇のまま没する。その後、都では凶事が続いたため、道真の怨霊のなせるわざと噂された。今日では「学問の神様」に祀り上げられ、受験シーズンには頼まれごとで寝てもいられぬ忙しさの道真公であるが、その昔は恐るべき「荒ぶる神」であったのかも知れぬ。

 その道真は894年、遣唐大使の任を与えられている。しかし唐王朝は最末期にあり、すでに唐の政治は疲弊していることを理由に、道真自身が宇多天皇に派遣の中止を進言したため、以後、日本から遣唐使が送られることはなかった。

 絢爛豪華な文化を誇った唐王朝は907年、道真の死後わずか4年にして、終焉の時をむかえた。やや極端な言い方をすれば、唐も道真も、滅びてなお「文化」として後世に残ったのである。

 
(聡)


関連キーワード
^