THE EPOCH TIMES

震災を体験した台湾女性

2011年04月06日 06時35分
 【大紀元日本4月6日】3月11日に発生した東日本大地震は、東北地方の東海岸から関東地方沿岸に至るまでの極めて広い範囲に、甚大な被害をもたらした。その中でも被害がひどかった場所の一つに宮城県東北部の南三陸町がある。地震による津波のため、町の人口約1万7千人のうち半数が死亡または行方不明、4分の3の家屋が破壊または浸水の被害を受けたとされるが、その実態はまだ明らかになっていない。その南三陸町で震災を体験した台湾出身の女性がいた。VOA中国語版が伝えた。

 美しい町が消えた

 彼女の名は張金枝さん。勉学のため台湾から日本に来た日から数えて、もう17年になる。今は南三陸町で、日本人の夫とその母とともに暮らしている。夫は土地測量と不動産を扱う会社を経営し、彼女は学校で中国人の生徒に補習をする仕事をしていた。

 地震発生の3月11日、金枝さんは別の市で研修を受けており、家には義母だけがいた。

 「地震が起きた時、幸いなことに夫は用事で家に戻っていました。家は海から遠くないところにありました。夫は義母をつれて、まず家から3キロ離れた会社へ移動しました。着いたとたんに『津波が来るぞ。早く逃げろ!』という消防署の人の叫び声が聞こえたので、大急ぎで母親を車に乗せ、高台へ避難しました。しかし、夫の車のすぐ後では、逃げ遅れた人やそれを救助しようとした消防隊員が、津波の犠牲となったのです」

 金枝さんの友人も何人か亡くなった。ただ幸いなことに、彼女が知っている南三陸町に嫁いできた中国人女性は、皆無事だったという。

 美しいリアス式海岸の風景は三陸地方に住む人々の誇りであるとともに、この地形がもたらす津波の恐ろしさは歴史的教訓として代々伝えられてきた。それゆえに、防波堤・防潮堤・水門など三重の防止線を構えるとともに、地震発生時には急いで高台へ逃げるという町民の避難訓練も欠かさずに行ってきた。

 しかし今回は、その予想を遥かに超える規模の巨大津波が起こった。無情な津波は、堤防を易々と越えて町に襲い掛かり、全てのものを奪い去った。

 町の全てが消えた。金枝さんの家も、夫の会社も消えた。後に残されたものは、砕かれた防波堤の残骸であった。

 生き残ったことが奇跡

 金枝さん一家は今、高台にある小学校の体育館の避難所にいる。地震発生後、二週間あまりが過ぎたが、まだ水や電気は復旧していないという。

 ようやく夜の6時から9時まで、この避難所でもテレビが見られるようになった。テレビのニュースは福島原発事故について伝えているが、それがこの町にどんな影響を及ぼすのだろう。水や食料はなんとか避難所に届くようになった。しかし大気中に放たれた放射性物質も、いずれ私たちの口に入ってしまうのか。情報が不足しているため、金枝さんを含む避難所の人々は不安を隠せない。

 そのような状況の下、被災地だけでなく、日本で生活していた多くの外国人が本国へ一時帰国している。台湾への帰国について、金枝さんは苦しい心境を次のように語った。

 「ここは小学校なので授業が始まったら別の場所へ行くのでしょうが、仮設住宅もまだできず、避難生活がいつまで続くのか不安です。台湾へ帰りたいとは思うのですが、それは不可能です。夫と義母を残して、私だけ去るわけにはいきません。これを口にすることもできませんが、一家3人一緒に台湾に行くか、それとも3人で避難生活を続けるか、私にできる選択は一つだけなのです」

 金枝さんは、まずは義母を安心させ、夫の仕事を立て直した上で、今後のことをゆっくりと、少しずつやっていこうと考えている。

 「こうして自分が生き残っただけでも奇跡なのです。これからは少しずつ良くなっていくと思います」

 VOAが金枝さんへ取材してから10日ほど経った4月4日、町外の別の避難所への移動を希望する被災者が、町長らが見送る中、南三陸町をバスで出発する場面を、日本のテレビのニュースが伝えていた。その中に金枝さん一家がいたかどうかは分からない。

(翻訳編集・牧)


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