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高瀬裏川の花菖蒲まつり。石垣や石橋が往時をしのばせる

【ぶらり散歩道】--熊本篇-- 玉名市・高瀬

 【大紀元日本6月4日】玉名市・高瀬は大阪へ年貢米を運ぶ水運の要衝として栄えた町です。

 水路である菊池川の支流・裏川には石垣や船着き場・石橋など往時をしのばせる歴史遺産が今も多く残っています。昭和55年、国土庁の水際緑化モデル地区の指定を受け、裏川一帯に散策デッキを敷き、5月下旬から6月上旬にかけて約6万6千本の花菖蒲が咲き誇ります。

 遊歩道などがよく整備されており、入場料・駐車場とも無料です。今冬は寒い日が続いたので、例年より開花は1週間ほど遅めになっています。訪問した日はまだ満開ではなかったのですが、見学者は大勢来ていました。

 余談ですが、玉名市は幕末の肥後熊本藩士・木村鉄太の出身地でもあります。木村鉄太は1862年生まれ。実家が廻船問屋で裕福だったことを背景に、江戸で学ぶうちに遣米使節従者に抜擢されました。安咳艮斎(あさか・ごんさい)に漢学、手塚律蔵に蘭学を学び航海術を習得します。

 鉄太は、監察(目付)小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみ・ただまさ)の従者という名目で、万延元年遣米使節団の一員となります。安政7年1月18日(1860年2月9日)、使節団一行と品川沖でポーハタン号に乗船し、世界一周の旅に出ます。鉄太、時に32歳の旅立ちでした。

 鉄太は世界旅行中の風景や出来事をイラスト入りで書き残し、『航米記』としてまとめました。ところが、鉄太は航海の帰路で肺結核を患い、帰国後に治療するも34歳の若さでこの世を去ります。結婚はしておらず妻子がなかったこともあり、この『航米記』の存在そのものを知っている人は少なかったのです。

 しかし、1974年、熊本の歴史図書出版社・青潮者の高野和人社長により、影印本として百十余年ぶりに公開され、大きな反響を呼びました。

 この、青潮社・高野和人という方は・・・・・。いや、脱線、脱線。高野氏の話はまたいずれ。

 歴史ある街を散策しながら美しい花を愛でる。楽しい一日でした。

遊歩道を歩きながら菖蒲の花を楽しめる

花菖蒲は全部で6万6千本とか。どうやって数えたのだろうか

浴衣姿の美しいお嬢さん

満開時の風景。これはパンフレットの写真

あちこちで記念撮影。君は花より美しい!

高瀬裏川の近くには、歴史を感じさせる店がたくさんある

(文/写真・佐吉)

 (11/06/04 07:00)  





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玉名市  高瀬裏川  花菖蒲  木村鉄太  航米記  青潮社  高野和人  


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