THE EPOCH TIMES

母子連心 ある大紀元記者の告白

2011年06月06日 07時00分
 【大紀元日本6月6日】母とは数年間、会っていない。

 私の両親は大学の教授だった。母は法輪功の学習者であることを理由に、パスポートが発行されなかった。私がどんなに両親に会いたくても、親子の再会は遥か遠い夢のようだ。先日、実家に電話をかけた。父親は、母の足が悪く、歩くのも大変で、ご飯を作るにも度々座って休みを取らなければならないとこぼした。それを聞くと、私の胸は熱くなり、涙がこぼれた。

 叶わぬ両親への孝行の願い

 母は、私たち家族の歴史は巴金(ばきん)が書いた『家春秋』という物語に似ていると話したことがある。文化大革命の時には「黒五類」と差別され、辛い時代を経験した母は、職場から家庭に至るまで、いくら苦しいことがあっても、いつも先頭に立って苦しみに耐えてきた。自分自身のためには服を買うことも惜しがる母は、ちょこちょこと貯めたお金を、いつも父や母の両親の元に送っていた。食事の食べ残しを処分するのも、家事も母が一人で担った。母は私たちによくこう言った。「あなたたちは、勉強に専念するだけでいいから」。他者への思いやりに溢れた母の品行は、私と弟に大きな影響を与えてくれた。そんな母に、いつか恩返しできるように頑張ろうと思っていた。

 しかし、この願いはずっと叶わなかった。中国にいた時は、自分たちの生計や子育てで忙しく、両親に気を配ることができなかった。海外に出て一年後、すぐに法輪功への迫害が始まり、両親と再び会うことができなくなった。ボランティアで大紀元の記者をやっている私は、昼間は一般の企業に勤め、帰宅してから家事や子どもの面倒をみて、大紀元の仕事をするのはだいたい夜中になる。深夜を過ぎた2~3時になってやっと布団に入ることもしばしばだ。多忙な毎日を送り、実家の電話が監視されていること、また時差のこともあって、両親に電話をかけることはますます少なくなった。私はいつも申し訳ない気持ちで一杯だったが、両親は一度も私に文句を言うことがなかった。年老いた両親のそばで親孝行をしてあげられない自分が悔しかった。

 両親に対する申し訳ない気持ちと心苦しさが、私の心にずっと残っていた。しかし、電話の向こうからは依然として母のさわやかな笑い声が聞こえてくる。「大丈夫よ、時間が経てば良くなるから。私は飛行機に乗って、あなたたちに会いに行ける日を待っているよ。だから、あなたたちは体に気をつけてちょうだいね」。母はいつもそうだった。他の人には希望を示し、独りで苦しみに耐えているのだ。

 息子に対する深い心苦しさ

 法輪功への迫害が始まってから、間もなく12年が経つ。息子は16歳となった。私が大紀元の仕事で忙しいため、息子と一緒に遊ぶ時間はとても少なかった。息子にはいつも深い心苦しさを感じた。ある大紀元スタッフが、冗談のようにこう言った。「マスコミ界にはこんなジョークがあるよ。もし誰か憎い人がいたら、その人にマスコミの仕事をさせなさいってね」。マスコミの仕事は、一日も休むことが許されない。ウェブサイトのニュースは毎日更新していかなければならない。健康だろうが病気だろうが、記事を作るのがハードだろうが容易だろうが、機嫌がよかろうが悪かろうが、家の雑事が多かろうが少なかろうが、毎日、時間になったら与えられたタスクをこなし、記事を出さなければならない。私は昼間の仕事を終えた後に大紀元の作業を始める。とても忙しい時には、夕飯を作り終えた頃には、お腹も空いているがすでに眠くもなっている。そこで、私は目を閉じて食事をする。後で5~6時間に及ぶ大紀元の作業が待っているので、食事の間は少しでも目を休ませなければならないからだ。

 息子はずっと、海外で育った。彼はこう言った。「中国がよくないなら、帰らなければいいし、気にしなければいいでしょう。なぜそんなに苦労してまで、迫害の真相を伝えなければならないの?一つの民間組織が、国家機関の十数年に及ぶでっち上げのニュースを打ち破ることができるの?とても力がおよばないよ」。私が大紀元に関わり始めた頃は、家族からの理解が得られず、圧力も大きかった。しかし、十数年経った今、大紀元こそが真実を伝える唯一のマスコミであることを、家族や友達の誰もが知るようになった。誰かが中国で不公平な目にあったら、大紀元は彼のために無実を訴える。誰かが中国の民衆を傷つけることがあれば、大紀元は矢面に立ち、悪人を追及し、正義を守る。大紀元はすでに皆が認める、最も良知ある中国語新聞となったのだ。

 法輪功の学習者ではないある華人の友達が、私たちのあくせくした十数年間の生活を見てきた。家族の生計のために奔走しながら、一方では家庭の温かさを維持しようと努力し、心身共に大きなプレッシャーを抱えた生活。そして家族には、いつも感謝と申し訳ない気持ちでいっぱい。そんな私たちを見て、友人たちは感嘆しながらこう語る。「あなたたち法輪功の学習者たちは、皆いつも元気に溢れていて、世の中に怖いものがないように見えていたけど、内心では多くの苦しみや辛さを抱えていたのだね。ここまできたのは、本当に容易ではない。本音を言うと、あなたたちに本当に敬服する。あなたたちはいつも最前線を突き進み、払った犠牲は誰よりも大きいと思う。私たちはあなたたちを後ろで支えるようにしよう」。彼は、よく大紀元のことを支持してくれる。そんな彼に、本当に心から感謝する。

 息子の反抗と母の愛 子育てで知った両親の恩

 しかし、子供に対する教育は親の「心苦しい」という一言で片づけることはできない。私は息子の教育を疎かにした報いに直面しなければならなかった。海外で育てられた子供は、中国人である親と考え方が大きく違う。米国で話題となった「タイガー・マザー」の厳しい教育法は、中国系家庭の一つの側面にしか過ぎない。2年前、私と息子の間でも一度「戦争」が起きた。それは、今思い出しても恐ろしいことである。

 子供の成績に対して、中国の親は高得点を取ることを求める。その反面、海外の子供たちは気楽さや自由を重視し、努力をしようとしない。ある時、私は息子の行為がだんだん中国人の伝統から離れていっていることに気がついた。息子が「悪くなりつつある」のを目にして、焦らない親はだれもいないだろう。そして、恨み、批判、非難、叱責が始まった。最後には息子を殴るまでに至った。しかし、このような「厳しい教育法」はそれほど大きな効果を発揮することはなく、息子はさらに悪くなり、「あなたたちを恨む」というような言葉さえ口にすることもあった。

 この時になって、私は高校生の時の母親の教育法を思い出した。ある日、弟が学校をサボったことを知った父親は怒って容赦なく彼を殴った。しかし、父の希望通りには行かず、私と弟は父に対する反抗心を募らせた。ある日、厳しかった父は弟を殴り、血が出る騒ぎとなった。しかし、強情な弟は依然として過ちを認めなかった。

 その時、母は強情な弟と厳しい父の間を行ったり来たりしながら、絶えず2人の心を慰めた。私はそんな母が理解できず、原則がないと少し不満に思った。しかし、今になって初めて、中国の伝統的な母親の子供に対する寛容な心、恨みも叱責もない心こそが、まさに弟のような反抗的な少年を治す良薬であることを知った。それは、私たち文化大革命を経験した中年の親に欠けているものだった。ただ厳しくするだけでは、子供たちを盲目的な抵抗へ駆り立てるだけだ。母のようなひたむきな思いやりと愛、激励、支えこそが、少年たちが人生の渦を渡れるよう導くことができるのだ。

 息子が小さいころ、私の両親が息子の世話をしてくれた。あの時、両親は言った。「子育てをしないと、両親の苦労を知ることはできないよ」。数十年経過した今、その気持ちがよく分かる。一つの難関を乗り越えた時、一つの危機を乗り切った時、その背後にはいつも両親のひたむきな指導と奉仕があった。もし母が、愛と支えによって家族を一つにしなかったら、西洋社会でよく見かけるように、親子が敵となり、反逆少年は誤って邪道に陥ったかもしれない。

 私は息子に対して、母が私たちにしたように接した。長期間におよぶ努力の結果、息子は再び正しい道に戻り始めた。つい最近、息子は中学卒業試験で「私の一番仲良しの友達」という作文を書き、私にこう話した。「お母さん、いくら考えても、僕の一番仲良しの友達はお母さんだよ。それは、お母さんが僕に多くの思いやりと愛を注ぎ、支えてくれたから…」息子の話に、私は泣いた。息子を胸に抱きしめ、涙はとめどなく流れた。感無量だった。

 無理やり押し付けられたこの迫害は、私たちの時間と精力、お金など多くのものを奪っていった。新聞やチラシの印刷、各地への活動など、至るところでお金を必要とするため、我が家の家計はいつもぎりぎりだった。この十数年間、私は新しい服を買うことは一度もなく、いつもリサイクルショップで購入した。このような生活の中で、私は両親に対しても、自分の子供に対しても、十分な責任を果たすことができなかった。この十数年間、家族への心苦しさと感謝の気持ちは、時々刻々、私の心を去来した。このような気持ちは、私のような法輪功学習者たちが共通して感じる痛みだと思う。幸いなことに、家族は皆、だんだんと私を理解するようになり、支えてくれるようになった。

 両親に対する愛、家族に対する愛、そして中華民族への深い愛。私たちがこの民族を救うために力を振り絞って働くことを励まし、支えてくれた。中国共産党の統治下で、中華民族は生死存亡の危機に直面している。私たちはこの前兆を見て、人々にその真相を伝え、未来のために早めに準備しておくよう気づかせる責任があると思う。読者は私たちの気持ちを理解してくれないかもしれないが、私たちの祖国に対する、中華民族に対する愛は、いかなるものも阻止できない。まるで両親や子供に対する愛のように、時間が経てば経つほどもっと深く、もっと強くなってくるのだ。

 親子は心と体が一つに繋がっている

 まだ法輪功に出会う前のことだった。ある日、母が胆結石の手術を受けるという話を聞いた。それは虚弱な母が受けた5、6回目の手術であった。当時はまだ仏教の信徒だった私は心配のあまり、こう祈った。「母が何事もなく、平安であることを願います。もし、本当に何かあったら、私が代わりに耐えます」

 不思議なことが起きた。その日、外出した私は、正面から走ってきたオートバイにぶつかり、地面に倒れた。あの時の私は黒いスカートをはいており、相手は白い服を着ていたことを今も覚えている。当時、私はそんなに痛いと感じなかった。しかし、病院でレントゲンを撮ってみると、足の骨が折れていた。数日後、父から電話がかかってきて、母の手術はとても順調で、母の学生たちも皆病院に来て面倒を見てくれていると言った。母は学生たちを自分の子供のように思っていた。そんな母に対し、学生たちも自分たちの先生を母親のように慕ってくれたのだ。心が温かくなった。

 多くの家庭で同じようなストーリーがあるだろう。インフルエンザが流行り、家族みんなが次々と倒れる中、母はいつも最後に倒れた。みんなが回復するまで献身的に看病し、最後にインフルエンザに罹っていた。母は、家族が病気になっている間は、自分は絶対に倒れてはならないと思っていたのだ。

 ある日、意外な発見があった。私の体のほくろのある部分に、息子もほくろがあったのだ。私の体に病気の症状が起きると、息子にも似たような症状が起こる。息子はまるで私の代わりに苦しみに耐えているようだった。科学的に証明されなくても、似たような現象が現実の生活の中で起きることはめずらしくない。中国には古くから、「母子連心」(親子の心は繋がっている)という言葉がある。一般的な、いわゆる精神的な面での繋がりを超えて、親子の間には、私たちの目に見えない本当の物質的な繋がりが存在するのかもしれない。

 中国には、「祖先が善行を行い、徳を積むと、子孫は福を受け、幸せに暮らせる」「先人が木を植えると、後人はその下で涼をとる」という言葉がある。私たちの祖先は、「徳」と「業」を重視し、一族に継承していくものだと信じていた。我々中国人のように、親子の情を重んじ、親への孝行を人生や道徳の面において一大事と見なす民族は少ないだろう。なぜ「百善孝為先」(百個の善の中で、孝が一番大事)というのだろうか。道徳的な面はさておき、「母子連心」の観点から見ると、親子は一体で、親に孝行をし、子供に愛を注ぐことは当然なことなのだ。

 私たちはよく、祖国を母に例える。中国を愛する中国人であれば、誰もが母親が虐げられることを見過ごすことができるだろうか。これは私が大紀元のボランティアを始めた最初の理由でもあり、幾千幾万の法輪功学習者たちも同じ思いを抱いていると信じている。仏家は、衆生を親と見なしている。法輪功学習者たちが耐えている幾多の苦難は、つまり祖国や世間の人のために苦しみに耐えているのだ。

 もう深夜の時間だ。水のように滑らかな月の光はベッドを照らし、遠方の旅人の心をも照らしてくれる。祖国の両親は無事だろうか。祖国の身内は、平安な日々を送っているだろうか。月光よ、私の思いを乗せて、母の枕元に届けてほしい。老いた母が夢の中で、愛しい娘に会えるように。夜の風よ、山を越え、川を渡って、遠く離れた故郷の人々にメッセージを伝えてほしい…。

 今は、母が早く回復することを祈る。そして、もうひとつの母である祖国・中国が一日も早く苦しみから脱出し、幸せな新紀元を迎えることを心から願っている。

 
(翻訳編集・柳小明)


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