THE EPOCH TIMES

【伝統を受け継ぐ】能「金春流」

2011年06月25日 06時03分
 【大紀元日本6月25日】5月20日、奈良の春日大社舞殿で古式ゆたかに「呪師(しゅし)走りの儀」、つづいて金春流お能「翁」が奉納された。2日にわたる南都春日・興福寺古儀「薪御能」の幕開けである。春日大社舞殿と若宮拝ノ社、興福寺南大門跡の野外舞台の3カ所で、金春流、金剛流、観世流、宝生流のお能、それに大蔵流の狂言が加わり幽玄の世界を繰り広げた。

 能の源流は、奈良の寺院に属して唐散楽を演じていた大和猿楽にあり、現在の能楽四座はすべてその流れを汲むという。「薪御能」の起源は平安時代に遡り、当時権勢を誇った興福寺西金堂の修二会の無事終了を労う法楽として、2月4日の「呪師走りの儀」に始まり、7日間にわたって金春座、金剛座、観世座、宝生座の猿楽が交代で演じられるようになった。献じられた神聖な薪をたき、その明りのもとで演じたことから、薪御能と呼ばれるようなったとされる。

 能は室町時代、観阿弥と世阿弥親子によって大成されたといわれる。時の将軍、足利義満に庇護され、ついで足利義持の高い鑑賞眼に応えるべく、世阿弥の才能が開花し、能は洗練され優雅なものになっていった。現在演じられる曲の半数は世阿弥の手に成るものだという。

 安土桃山時代、無類のお能好きであった豊臣秀吉によって能は武家の式楽として奨励され、豊臣は金春流を、徳川は観世流を、というように各大名家によって用いられ、庇護された。しかし、徳川幕府の終焉とともに、能楽も庇護者を失い、存続の危機に瀕した。多くの能楽師が廃業し、転職を余儀なくされる中、梅若実、金春流の桜間伴馬、宝生九郎など、明治の名人となる人々の苦労と尽力により、天皇家など良き理解者を得て生き延びたのである。現在では重要無形文化財、ユネスコ世界無形文化遺産に指定されている。

 「薪御能」の初日、能「翁」を演じた金春流シテ方、金春穂高さん(45)を奈良の稽古場に訪ね、話を聞いた。平安時代、興福寺に属した金春家は「薪御能」では、最初の能を演じるのが仕来りになっているという。

 穂高さんは4歳でお能の稽古を始め、5歳で初舞台を踏んだ。幼い子供が謡の詞章を理解できるはずもなく、只々、師であり父である金春晃実さんの謡をおうむ返しに復唱するという稽古であった。「節や拍子は二の次、とにかく大きい声を出せと言われました」「そのため、学校では授業中に私語をするとすぐに先生のチョークが私に向かって飛んできました。小声でささやくことができなかったのです」と穂高さんは笑う。

 稽古で難しいと感じたのは何かという問いに「稽古が好きになれないことですね。稽古というと人生暗闇だと感じましたよ」「今でも能が好きだというわけではありません」と意外な返事が返ってきた。「私の父も夏になると山に登って、秋までは降りてきませんでした。お能からも世間からも逃げたんでしょうね」穂高さんもその気持ちは理解できるという。

 穂高さんは闊達な人柄と見えて、朗々とよく通る声で明確に話す。聴き手は記者一人であったが、100人の聴衆がいてもその声は十分に届いたことだろう。また、体の動きは自然でありながら、ゆるみがなくて美しい。これは幼少から厳しく鍛えられ、たゆみなく培われてきた能楽師の姿なのだろう。山を愛した父、晃実さんは山小屋にこもり、しばし自然児に戻ろうとしていたのかもしれない。

 お能で大切なことは「ハナ」だと穂高さんはいう。「花」「華」人には、老いも若きもそれぞれにその美しさがある、それを表現することが何より大切だというのだ。それを「幽玄」とも呼ぶ。「幽玄」とは、「ほのかな美しさではありませんよ。内面の力を持続させた明瞭な美しさです」と。

 初心者のためのお能鑑賞の心得をたずねると、五感を使ってしっかりと感じることだという。外国での公演も多い穂高さんは「外国の方はその点、鑑賞がお上手です」「理解しようとするのではなく、何かを感じ取ってほしいですね」と語った。今年2月にドイツ4都市で5回の公演を行ったが、いずれも好評で切符は早々に完売だったという。

翁面と金春穂高さん(撮影・Klaus Rinke)

翁を演じる金春穂高さん、春日大社にて(撮影・原田七寛)

呪師走りの儀と翁舞、春日大社にて(撮影・原田七寛)

翁面、中央は江戸時代、左右は昭和(撮影・Klaus Rinke)

(温)


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