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(Michael Hodge/Creative Commons)

【漢詩の楽しみ】 哭晁卿衡(晁卿衡を哭す)

 【大紀元日本7月19日】

日本晁卿辞帝都
征帆一片遶蓬壺
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

日本の晁卿(ちょうけい)帝都を辞し。征帆(せいはん)一片、蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)る。明月帰らず、碧海に沈み。白雲愁色、蒼梧(そうご)に満つ。

 詩に云う。日本の晁卿は、長安の都を辞した。我が友が乗った船の帆影は、仙人が住むという蓬壺の島をめぐって行ったのだ。しかし、明月のように輝いていた君は帰らずして、碧海に沈んだという。ああ、白い雲とともに悲しみの色が、蒼梧の空に満ちている。

 日本。突然そう呼ばれると、はっとする。倭だの東夷だのと蔑視的な言い方もされてはきたが、やはり昔から、わが国は「日本」だったのである。

 その日本から多くの英才が唐土に渡った。なかには、唐において相当名を知られた人物もいた。『続日本紀』によれば、それは吉備真備と阿倍仲麻呂(あべのなかまろ、698~770)の二人であるという。

 詩は李白(701~762)の作であるが、まずはその詩にでてくる人物に興味が引かれる。

 晁卿あるいは晁卿衡は、阿倍仲麻呂の中国名である。17歳(または19歳)で唐土に渡り、その地で学問を修めて高官にまで昇った。異説もあるが、仲麻呂は官吏登用試験である科挙に応じて、最難関の進士に及第したとされる。

 言わば唐王朝の正当な出世コースを、異民族であり外国人である仲麻呂は見事に進んだのである。唐もまた、それを許す寛容さをもっていた。この大らかさが唐という時代の魅力の一つでもあり、唐文化が大輪の花を咲かせたのは、その結果であろう。

 一方、李白はどうしたか。もともと真面目に勉強するような男ではない。ただ、路上の石ころのようなこの遊子には、並外れた詩才のほかに、他人が拾い上げて世話をしたくなるような不思議な引力が備わっていたらしいのだ。

 この少し前、李白はある道士とともにいた。その道士が、年老いてすっかり仙術好みになった皇帝がいる宮中に召されたとき、李白を朝廷に推挙した。これがきっかけとなり、詔勅や詩文を起草する役に就いた李白は、ほぼ同年の日本人・阿部仲麻呂と宮中で接した。

 「哭」とは慟哭を意味する。それほど李白は、友の死を嘆いた。実は、仲麻呂が遭難死したという知らせは誤報であり、約2年後に長安へ戻ってくるのだが、李白はそれを知ることなく、高力士らの讒言により早々に長安を追放されている。

 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも。仲麻呂はそのまま唐土に没し、仲麻呂の歌だけが日本に帰った。

 
(聡)


 (11/07/19 07:00)  





■キーワード
漢詩の楽しみ  李白  阿倍仲麻呂  吉備真備  続日本紀  遣唐使  


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