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7月2日、京都・清水寺。仁王門(重要文化財)は室町時代の建造(大紀元)

京都 日本文化と復興力の源泉

【大紀元日本7月16日】京都で道に迷った時は、道路を見ずに、山を見ると良いそうだ。

 山のない方角が南なので、他の方角はおのずと分かる。その「山」を意識したときに、北山文化、東山文化という京都を代表する二大文化が、立体感をもって浮かび上がってくる。

 京都室町に「花の御所」と呼ばれる豪壮な大邸宅兼政務所を造り、そこへ幕府を移したのは第3代将軍・足利義満(1358~1408)であった。その義満は、応永4年(1397)から京都の北山に新邸宅を造り始める。

 見事な庭園と13の御殿をもつ北山第(きたやまてい)は、西園寺の山荘を改築したものとはいえ、着工の翌年に完成したというから、おそらく義満がその強権を振るって工事を急がせたのであろう。早いばかりでなく、度肝を抜くほど豪勢であった。なかでも金箔を貼り輝かせた舎利殿は、後に金閣と呼ばれて、京都の顔になった。

 時代はやや下って第8代将軍・足利義政(1436~1490)のころ。これに至るまでの中世史は気が重くなるほど複雑で、ここに書けるはずもないが、要するに足利将軍家および畠山・斯波などの守護大名の各家に相続争いが起こり、さらに2派に分裂した将軍家のそれぞれに有力大名がついて、ついに11年に及ぶ応仁の乱(1167~1177)となったのである。

 義政の父は、義満の子で第6代将軍に「くじ引き」で決まった義教(よしのり)であった。その義教は暴君であったため守護大名の反感をかい、最後は赤松氏に討たれている。

 義政は、正妻・日野富子との間に男子がなかった。そこで、同じく義教の子で同母弟の義視(よしみ)を次期将軍に立てることにした。ところが、そう決めた後で富子が男子を生んだ。義尚(よしひさ)である。当然ながら富子は、実子である義尚を強力に推した。

 跡目相続争いの典型的な図式となった。義視側には細川勝元がつき、義尚側は山名宗全が後押しした。この東軍・西軍それぞれに全国の大名が群がって、さらに大軍となった。ただ、そこに集まる理由は全くの利害と欲望だけであったから、戦闘には一切の筋道もなかった。

 京都にとって更に不幸だったのは、この東西戦が、後世の関ガ原のような1日で終わる野外戦ではなく、まさに京都の市中において、長期間にわたって行われたことであった。おそらく大混戦のなか、戦っている武士たちも訳が分からずに、ただ太刀を振り回しているような狂乱状態だったであろう。

 京都は荒れに荒れ、焼き尽くされ、賀茂の河原は無数のむくろで埋まったという。ところがその間、義政は水の腐った古井戸のように無力だった。政治に飽いていた、といってもよい。彼は、応仁の乱をはさむ暗黒の世にあって、東山の別荘で庭造りという耽美な世界に逃げ込んでいたのである。

 確かに、見事な庭と楼閣ができた。絢爛豪華な北山文化のそれとは趣を異にする、禅宗ふうの東山文化の極美である。応仁の乱で消失した浄土寺の跡地に義政が建てた東山殿(義政没後、慈照寺となる)には、銀閣を目当ての観光客が、今日も多く訪れる。

 京都の魅力を書くという、本文の趣旨から外れてはいないつもりである。つまり、そのような濃厚な歴史をもつということが、私のいる東京にはまねのできない、京都の本当の魅力であると思うからである。 
 20世紀、東京は関東大震災と第二次大戦末期の空襲により、2度にわたって焼け野原となった。大阪や神戸も大規模な空襲に遭った。

 京都には、限定的な空襲はあり、被害も少なくはなかったが、いわゆる大空襲と呼ばれるものはなかった。それをかつて「文化財保護に配慮したアメリカの良心」というような美談的宣伝もされたが、今日では、その根拠のない噂を信じる人は少ないはずだ。京都はまさに、広島・小倉(長崎に変更)よりも優先順位の高い、原爆投下の第一候補地だったのである。

 しかし京都は、その歴史において、再び人間の業火で焼き尽くされることを、断固として許さなかった。

 京都があの20世紀に灰とならず、今日の美しい京都として残った理由は、人知の及ばない高次元において「見えざる力」が働いたからだと解するのが、私にとっては何よりも説得力をもつ。

 復興という言葉を、いま全ての日本人が胸に抱いている。

 それに費やす時間は5年、あるいは10年ともなろう。しかしまた、物質的な復興だけでない、数百年という長大なスパンを要する「文化と精神の復興」もあるのではないか。

 それを京都という先達に学べることは、日本人にとって幸せなことに違いない。

夏の木々に埋もれる「清水の舞台」(大紀元)

水音も涼やかな清水寺の音羽の滝(大紀元)

法観寺の通称「八坂の塔」は足利義教の再建による(大紀元)

京都はゆっくり歩きたいもの。洛東・南禅寺にて(大紀元)

(牧)

 (11/07/16 07:00)  





■キーワード
京都  北山文化  東山文化  足利義満  足利義政  応仁の乱  鹿苑寺  慈照寺  清水寺  


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