THE EPOCH TIMES

英国バイリンガル子育て奮闘記(96)美術の授業(2005年-2006年)

2011年07月18日 07時00分
 【大紀元日本7月18日】2年制の高校で、インターナショナル・バカロレア試験のためのコースを履修した娘は、初めの頃、美術の授業をひどく嫌った。6つの分野から一教科ずつ選択しなければならず、芸術分野では、美術、音楽、演劇の選択肢があった。演劇は娘のタイプではないので、音楽に切り替えるといって、音楽の先生に会いに行ったようだが、中学卒業資格試験のGCSEで音楽の教科を取っていなかったため、先生に断られていた。

 結局文句を言いながら美術の授業に落ち着いた。A3サイズのスケッチブックを買わされ、真っ白のページをどんどん自分の考えで埋めていくことが一つの課題だった。どうやら、スケッチブックに自分をさらけ出すことに抵抗があったようだ。最初のテーマは「丸いもの」。娘はガムテープが木から果物のように生えている様子を描いていた。おかげで、色彩はモノトーン。つまらないページができあがった。

 しかし、徐々に自分で調べて発想を形にしていくという作業に慣れていったようで、インターネットでイスラム系のモザイクの描き方をダウンロードして、色鉛筆を使って丹念に複雑な模様を書き始めた。他の教科はそっちのけで、スケッチブックに没頭している時間が長くなった。先生も、前のページに戻ってもう少し色をつけるように奨励してくださったようだ。

 1年目の後半のテーマは「時間と空間」。日本とコーンウォールをテーマに選び、家の中にある日本のものを端からカメラに収めはじめた。これで自分の中の日本の部分を客観視して他人に伝えられるようになった、と私は一人、胸をなでおろした。

 さらに、小さめのペットボトルに針金を巻いて、粘土をつけて、折り紙を針と糸で縫い合わせて着物にし、手製の紙を帯にして、日本人形まがいのものを制作。美術のコースでは、制作段階を全て記録することが課せられており、私の着物姿のデッサンから始まった。ほとんど着付けなどできない私が、苦戦しながらなんとか帯をつけ、その後、ボーッと突っ立って、娘のモデルとなった。

 2年目には、美術の教科を標準レベルから高レベルに切り替え(6教科のうち、3教科を標準レベル、3教科を高レベルとして履修することになっている)、当初では予想もできなかったほど、美術は娘の好きな教科へとすっかり変身した。英国のAレベルのコースを履修していたら、目先の好きな科目を3つか4つ選ぶだけで、美術の選択は及ばなかっただろう。オールラウンドな人間形成を目的とするバカロレア試験のコースに感謝している。

 (続く)

 著者プロフィール:

 1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。

関連キーワード
^