【党文化の解体】第4章(1)

目次

1.悪党の思想と思考回路、悪党組織特有の言語
 1)今日中国人民の思想を統制する者
 2)洗脳される側から自ら思考して罵り、共産党を擁護
 3)朝礼暮改式の党の考え方
 4)中共に期待するという矛盾

2.無神論から来る無鉄砲
 1)生命の尊厳を無視、恣意に殺人
 2)天地と戦い、自然を破壊
 3)日増しに低下する社会風紀、講じられない道徳
 4)社会的な危機をもたらす性の氾濫
 5)「風俗・賭博・麻薬」産業を保護する官僚

 未来から今日の人類の歴史を振り返って見るとき、共産邪霊が中国大陸を恣意的に侵していた、あの戦慄極まりない、けたたましく血生臭い光景がはっきりと見えるはずである。

 わずか数十年の間に、中国大陸においては、共産党は度重なる殺人行為、批判運動、洗脳を通して、中国の伝統とは相容れない「党文化」の部落を作り上げた。

 この部落の中で、共産党は無神論と唯物論を宣伝し、伝統の神伝文化を否定し、マルクス・エンゲルス・スターリン・毛沢東の偉大さを宣伝し、系統的に伝統的な文化に取って換えた。

 この部落の中で、共産党は儒・仏・道を批判し、伝統的な観念を批判し、闘争思想、弱肉強食、適者生存の邪説を注入し、政治的目的のために進化論や現代的科学を注入して、系統的に思想改造を行った。

 この部落の中で、共産党は宣伝機関から教科書まで、犬儒文人(※1)から各種文芸形式まで、さらにあらゆる宣伝手段を用いて徹底的に中国人民を洗脳し、中国文明5000年の根幹を切断した。このため中国人民はもはや華夏先祖を認めず、甘んじてマルクス・レーニン主義の子孫になろうとし、きわめて短期間で共産党は実際に中国人民の思想を改造した。

 

工農商階級は、中共邪教を引っ張って社会主義の道を歩まされる(大紀元)

ある笑い話がある。大学入試で、「世界の国の一部で食糧が不足しているが、あなた個人の意見はどうか」という筆記試験があった。

 その結果、アメリカの学生は「不足」とは何か知らず、北朝鮮の学生は「食糧」とは何か知らず、中国の学生は「個人の意見」とは何か知らないというものである。

 この笑い話から、中国民衆は中共による宣伝と高圧、大衆運動の実践を数十年に渡って受け続け、個人的な思想が希少なものとなっていることがわかる。

 思想は、人の言語、人の行為、人が繰り返す考え方を統制する。

 思想改造された後の中国人民の態度は当然元来の本性からは大きくかけ離れる。中国人民は悪党の思想で物事を考えることに慣れてしまい、悪党組織の言葉を用いて話す。神はいないので、何をやっても後の結果を考えず、どんな悪事でも平気でやってのける。天を恐れず地をも恐れず、下品な言葉を口にし、下品な行動をする。現代の中国人は、もし党文化を除いたら、もはや正常に話したり考えたりできなくなっている。

 これは言い過ぎではないかと思う人がいるかもしれないが、少なくとも共産党自身も自己の過去を嘲笑していることから、現在は過去に比べ大きく異なっているのではないだろうか。

 1979年は一つの分水嶺だ。

 30年前の歴史を議論し始めると、中国人民はその時代は本当に荒唐無稽であると思っており、現在について言えばきわめて正常だと思っている。

 確かにそうだ、中国人民はすでに共産主義を信じなくなった。そして、中国人民は「手はたこだらけ、全身泥だらけ」を言わなくなった。さらに中国人民は伝統文化を回復しようと叫ぶようになった。しかし、党文化自身はちっとも変わっていないだけでなく、さらに成熟してきた。

 党文化の理論的体系となる無神論、唯物論、進化論と闘争の哲学は、依然として中共の礎石、思想改造された後の中国人民の科学的な共通認識である。党文化が依拠している洗脳手段は依然として収束せず、テレビの普及に随い「美しい声で感情豊かに」中国人民の思想を改造したが、インターネットの普及に対しては、中共はかつてないほどにネットの「封鎖」「検閲」「統制」に熱心である。

 中共の所謂「伝統文化の回復」とは、伝統文化の真髄を取り除いた後、今日に至ってさらに党文化の無神論、唯物論などの思惟形式をもって伝統文化を盗用し、現在の中国人民の経済的利益と国際社会からの認知を追及するという根本的な目的を回復させるものである。この回復は当然中国人民の本当の伝統文化ではなく、その反対で第一回目の伝統的文化の真髄に対する骨抜きに続いて、第二回目の伝統文化の表面的内容に対する骨抜きである。

 

インターネットの検閲、盗聴、電波妨害、戸籍による束縛(大紀元)

そのために、過去は無論、現在も、思想が改造された後の中国人民は同様な表現をする。

1.悪党の思想と思考回路、悪党組織特有の言語

 伝統的文化に取って代わり、中国人民の思想を改造するのが中共数十年間の一貫した政策であるにもかかわらず、中共の異なる時期の思想と言語は絶えず変化している。

 「階級闘争は強化すればすぐ効く」から「石橋を叩いて渡る」を得ないまで、「むしろ社会主義という草を欲して、資本主義という苗を欲せず」から「白い猫でも黒い猫でも鼠を捕るのは良い猫(_deng_小平が改革・開放政策を実施に際して、提起した白猫・黒猫論)」まで、「プロレタリア文化大革命はすばらしい、最もすばらしい」から「錦の旗印を鮮明に動乱に反対する」まで、「貧乏になるほど光栄だ」から「富める者から先に富め」「貧を笑い、娼を笑わず」まで。

 「張鉄生は白紙の回答を提出」を賛美することから、現在の学界が名利を求めるために大々的に行っている「学術腐敗」まで、昔の「禁欲主義」から今日の「放縦主義」まで……中共の政策は次々に打ち出されてはこのように矛盾していて一貫性がなく、中国人民は目が眩むばかりである。

 しかし、中国人民の思想が党文化によって改造された後の表れとしては、党の思想は如何に変化しても、中国人民は盲目的に追随しともに変化し、常に悪党の考え方で物事を考え、悪党組織特有の言葉で話し、そして悪党の統制を維持しようとする。

 あの「鶴の一声」の時代、悪党の思想で物事を考えると言えば、中国人民はそれを信じた。

 「父母といえど、毛主席ほど親しくはない」、「人民がどれだけ大胆かで、土地の生産高が決まる」、「人民公社は素晴らしい」、「階級闘争を絶対忘れるな」、「天地は広大にして、大いに能力を発揮し」「私欲に打ち克ち、修正主義(※2)を批判する」、「妖怪変化(文化大革命期間中、地主、資本家、学会権威などを例えた表現)を一掃する」、「革命を掌握し、生産を促し」、「おやじが英雄ならば子は好漢、おやじが反動ならば子はばか者」、「全世界の人民が一致団結し、アメリカ帝国主義及びその追随者を打ち破れ」……その時代は、ただの鶴の一声、中国人民は当然悪党の思想と言語をもって物事を考えざるを得なかった。

 今日においては、情報はこのように速くまた多く伝達され、言論の統制も過去よりいくらかは緩くなっており、中国大衆もまた共産党を果敢に罵り、独立的に思考しているように見えるが、どうして悪党の思想をもって物事を考えていないと言えるであろうか。

 (※1)犬儒学派…古代ギリシャ哲学の一派(キニク派)に由来、社会の伝統習俗や見栄を意識的に捨ててイヌのような生活をしたことから、のちにこのような生活態度の人をも指すようになった。

 (※2)修正主義…共産党あるいは共産国家のイデオロギー上において、マルクス主義を修正して改めようとする攻撃的で批判的な動き。

 (続く)