【漢詩の楽しみ】杭州春望(杭州の春望)

望海楼明照曙霞
護江提白蹋晴沙
濤声夜入伍員廟
柳色春蔵蘇小家
紅袖織綾誇柿帯
青旗沽酒趁梨花
誰開湖寺西南路
草緑裙腰一道斜

望海楼(ぼうかいろう)明らかにして曙霞(しょか)に照らさる。護江提(ごこうてい)白くして晴沙を蹋(ふ)む。涛声、夜入る伍員廟(ごうんびょう)。柳色春蔵す、蘇小の家。

紅袖、綾(あや)を織りて柿帯(したい)を誇り。青旗酒を沽(か)いて梨花を趁(お)う。誰か開く、湖寺西南の路。草は緑にして裙腰(くんよう)一道斜めなり。

詩に云う。望海楼は朝焼けの光に明るく照らされ、銭塘江の堤は白く、晴れた日のもとその白砂を踏んで私は歩くのだ。夜になれば伍子胥を祀った廟に川波の音が響き入り、春の柳は蘇小小の古家を包むように繁っている。紅袖の娘たちは柿帯の綾織りがご自慢で、青い旗が目印の酒屋では梨花春という銘酒が売れ筋という。はて、湖に近い孤山寺の西南の道は誰が開いたのか。ひと筋の緑草が斜めに伸びた風景は、衣の裳裾のように趣き深いではないか。

白居易(772~846)52歳ごろの作。中央での政争を避けるため地方赴任を願い、杭州の知事として約3年を送る。詩からも想像できるように、西湖を中心とする風光明媚なこの土地を大いに気に入ったらしい。

詩の内容は、とにかく春の杭州の美景や風物を盛り込んだものになっている。伍子胥(ごししょ)は春秋時代の呉に仕えた清廉な政治家。敵対する越の圧力によく抗したが、讒言により非業の最期を遂げた。蘇小小は六朝時代の名妓で、その古家とはもちろん彼女の墓を指す。洗練された物語の詩ではなく、ブランドものの衣服や高級な酒を両手に抱えてデパートから出てきたような、やや滑稽な作者の姿が見える。

うまい詩ではないが、白居易はそれでいい。彼はこの地を丸ごと愛していたからこそ、はるかな遠景から機織りの田舎娘まで、網羅的というか無選別に褒めるのである。

大詩人である前に、地方官としての白居易の業績も忘れてはならない。今日も西湖に残る白堤は、言うまでもなく彼の在任中になされた土木事業だが、その秀麗な風景を表現するには、もはや詩という文学さえ力及ばないであろう。

(聡)