岳飛――岳飛の物語(四)【千古英雄伝】

紹興10年7月、岳飛は退軍を命じられた。南宋の百姓を喜ばせた復興の勝利は突然、終止符を打たれた。岳飛は10年間の努力が失われたことを恨んだが、命令に従った。岳飛のこの忠誠と献身は時代の模範となるものだった。

『宋史』には「岳飛親子は、その大業完成間近に死んだ」とある。当時の志士たちは、切磋琢磨した。南宋の皇帝である高宗は、邪悪の識別ができなかった。秦檜らの邪悪な小人は永遠の罪人となり、後世の人々から嫌われてきた。岳飛の忠誠と正義は、永遠に生き続け、天と地を照らしている。

かねてから岳飛を尊敬していた朝廷武官の呉玠は岳飛と友人になりたいと思っていた。岳飛が侍女を持っていないことを知った呉玠はきれいに着飾った有名な美女を岳飛に贈った。岳飛は辞退し、「皇帝は早起き遅寝、苦労して、政務に尽力している。今は朝廷の大将が安楽を享受する時ではありません」と言った。それ以来、呉玠はさらに岳飛を尊敬するようになった。
  
岳飛が少し酒を飲み過ぎた時、高宗から「いつか黄河以北の失われた領土を取り返してから飲め」と注意された。 その後岳飛は一滴の酒も飲まなくなった。

皇帝である高宗が岳飛のために家を建てようとすると、岳飛は「敵が滅びる前に家が持てるわけがありません」と辞退した。岳飛は19歳で入隊した時から、家庭があることも忘れ、全力を尽くすことを誓っていた。

紹興6年、岳飛の母が亡くなり、葬儀を終える前に皇帝から詔書が出され、職務を再開し、軍を率い戦場に赴くことになった。岳飛は母の葬儀全てに参列する事を決めていたが、それも許されず、親孝行より忠義を優先する事になった。 

そこで、ある人が岳飛に「いつ天下は太平となるのか」と尋ねた。岳飛は「文臣が金銭を好まず、武臣が死を惜しまなくなった時に天下太平になる」と言った。忠臣の忠誠は天地に刻まれるものだ。

(翻訳・李明月)