【大紀元日本8月14日】
夜熱依然午熱同
開門小立月明中
竹深樹密蟲鳴処
時有微涼不是風
夜熱(やねつ)依然として午熱(ごねつ)に同じ。門を開いて小立(しょうりつ)す、月明の中(うち)。竹深く、樹密なり、蟲(むし)鳴く処(ところ)。時に微涼(びりょう)有り、是(こ)れ風ならざるに。
詩に云う。夜になったが、まだ正午ごろのうだるような暑さのままである。そこで私は門を出て、月明かりの下にしばし立ち、涼をとっていた。近くには奥深い竹林と樹木が生い茂っており、その根元のあたりでは一足早い秋の虫が鳴いていた。それを耳にした時、風が吹いたわけでもないのに、ふと微かな涼しさを感じたような気がした。
作者の楊万里(よう ばんり、1127〜1206)は南宋の人。大学者である朱熹(1130〜1200)と同世代の人物で、宋代の詩人としては陸游(1125〜1209)の約1万首に次ぐ、約4200首の多作を誇る。
楊万里は、官僚としては地方長官などの経歴が多く、政界で出世したわけではない。性格は剛直で気骨のある人だったらしいが、そのような人物は、かえって濁り水のような政界や官界では疎まれたのであろう。
彼は永州(湖南省)の地方官時代、宰相・秦檜によって同じく永州へ左遷されていた名臣・張浚(1097〜1164)に出会い、張浚を師と仰いで一生その教えを守った。 張浚は、唐の玄宗に仕え、また玄宗に対して堂々と諫言もした名臣・張九齢の親族の子孫に当たる。
張九齢が、時の権勢である楊国忠らと衝突して左遷されたように、約400年後の張浚もまた同様の憂き目を見た。張浚に師事した楊万里も、同じくそのような「実直組」に属するタイプだったようだ。
宋詩の特徴の一つは、細やかな観察力に基づいて目にした光景を、さらに「一ひねり」して描写するところにある。
夏の夜は、今年の日本もそうだが、中国でも暑くて寝苦しいもののようだ。今は8月の上旬で、昼間のアブラゼミは賑やかだが、夜はまだ窓下の草むらから虫の鳴き声は聞こえない。しかし、これがあと半月も経てば、残暑の夜の草むらは俄然騒がしくなってくる。
そこで詩の第4句に、なかなか面白い「一ひねり」がある。つまり、風が吹けば涼しさを感じるのが通常だが、その風の代わりに、ふと耳にした虫の音から微かな涼しさを感じたよ、というのだ。
唐詩が壮大な宇宙であるのに比べれば、宋詩は小さな日常のスケッチのようなものかもしれない。ただ、小ぢんまりした宋詩にも、なかなか捨て難い味わいがあると言えるだろう。
(聡)
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