THE EPOCH TIMES

英国バイリンガル子育て奮闘記(100)フランスからのお客様(2007年)

2011年08月15日 07時00分
 【大紀元日本8月15日】娘はフランスの小学校に英語を教えにいくというミニ・アシスタント制度でフランスの滞在を体験したが、通常のホームステイの制度もあった。交換の形をとることになっており、フランスに行った生徒の家族が数ヶ月後に英国の家庭でフランス人を受け入れる。しかし、フランスには行ったものの事情で受け入れることができなくなった家庭もあり、家にフランス人がホームステイすることになった。二つ返事で引き受け、訪問直前に滞在予定のお嬢さんのプロフィールが送られてきた。

 住所を見て夫が「これは田舎もんだぞ」とコメントしたが、「このインターネットの世の中で田舎もんも何もないでしょ」と私は夫の偏見を打ち消した。当日、学校の近くのバス到着地まで迎えに行った。一人一人の生徒の名前が呼ばれ、その名前と自分の滞在予定の生徒の名前が一致すれば、その子が家に来る。運命のご対面。どきどきしながら順番を待っていた。そしてほとんどリストの終わりくらいに、ルイーズ(仮名)の名前が呼ばれた。なるほど、田舎者だった。荷物が大きい。旅行用の洗面用具という発想はないようで、シャンプーから石けんから、風呂場のものをそのまま持ってきてしまった感じ…これなら荷物は多くなる。到着してすぐのお昼はランズエンド(観光地)に連れて行き、その後、やはりフランス人を受け入れている家庭に連れて行こうかと考えていたら、具合が悪いと言って、家に戻って寝込んでしまった。フェリーで全く眠れなかったとのこと。

 翌日からは問題なく、娘と一緒にバスで高校に行き、ホームステイ用にアレンジされた英国見学のスケジュールをこなしていた。そして、夕食に一緒に戻ってくる。英語は皆無。娘の助けを受けながら、私も片言に単語を並べ、なんとかコミュニケーションをはかった。一度、夕食のあとで食事のことを話して「キューリー」というスパイスがあると一生懸命説明してくれた。30分ほどお互いに奮闘した結果、「カレー」のことだったと納得。

 ちょうど2月14日のバレンタインデーの日にかかった滞在で、当日、国際電話をかけたいとのこと。到着時に連絡を入れたお父さんかなと思ったら、ボーイフレンドだという。格安電話の番号を教え、邪魔しちゃ悪いと私はキッチンに戻った。しばらくしたら、真っ赤な顔をして、「イーセッド・イーラブズミー(He said he loves me)」(フランス語にはHの発音がないので、ヒーがイーになる)いやあ、若いっていいなあ。ごちそうさまでした。その後、彼の仕事とかどこに住んでいるとかの話題になり、英会話に花が咲いた。

 都会人の複雑さはなく、思ったことを何でも話してくれて、受け入れ先としてもラクだった。そして、一週間後には文が構築できるようになっていた。外交的な性格と若さだなあと頭が下がった。

 彼女が去った後、娘が「あのね、ルイーズね、大きな手荷物に、ジンのボトルが入ってたの。行きのフェリーで半分飲んで、帰りのフェリーで残りの半分飲むんだって」なんだ。到着時に具合が悪かったのは、二日酔いだったのか。

 (続く)

著者プロフィール:

 1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。

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