THE EPOCH TIMES

<赤龍解体記>(33)米駐中国大使、石を投げられる

2011年09月26日 08時52分
 【大紀元日本9月26日】如何なる者でも、たとえ米国の大統領や駐中国大使であっても、中共の一党独裁を脅かすと思われるような言行や価値観をとるなら、批判の的とされる。

 中国系米国人として初の米駐中国大使となったゲーリー・ロック(駱家輝)氏(61)が8月14日北京入りして以来、中国の国民から大いに注目され、彼の庶民的な雰囲気が高く評価されている。

 一方、彼の廉潔で庶民的な雰囲気が中共官僚と対照的なものとなったため、「党の代弁者」である一部のメディアから厳しく批判されている。

 9月21日、人民日報傘下の環球時報も、社説を掲載し駱家輝氏を批判している。次はその全文であるが、これを通して中国情勢の機微に触れることができる。

                 ※  ※  ※

           駱家輝にしっかり「大使」をしてほしい

 米国の新しい駐中国大使・駱家輝が注目されているが、その度合いはもはや大使として扮すべきキャラクターを大いに超えている。中米貿易やその他の両国関係における態度のほか、彼の個人的な「生活ショー」も刺激的で激しい物議を醸している。

 彼は、飛行機に乗ればエコノミークラスに座り、外出するのにボディーガードなどの随員を伴わない。彼のリュックサックを背負う姿、自分でサービス券をもってコーヒーを購入するなどといった「庶民的イメージ」が中国の一部のメディアから追いかけられ、称賛されている。

 この前、バイデン米副大統領が訪中中に北京で79元の食事をしたことが注目されたが、駱家輝の行動も同類のものである。これらの「庶民的表現」は決して表で見えているような随意的で簡単なものではないが、しかし、彼らをめぐる中国世論の熱い議論は、彼らの背後にあるものに触れる興味がないようだ。つまり、これらの議論を通じて、官僚たちの庶民化した雰囲気に対する世論の期待は一目瞭然となるのである。

 もし、駱家輝たちの「質素な行為」がたまたま中国のメディアに捉えられ、彼らの表現とメディアの議論もみな「天然色」を保っているのであれば、その物事の有益な程度はより高くなるかもしれない。しかし、駱家輝の周りに、「犬チーム」のような報道網がしだいにできており、彼のあらゆる行動もいずれもメディアから米国官界の「廉潔の詳細」として美化されている。これでは物事の本質が変わってくる。

 報道をしているこれらの連中は、国際的知識が欠如しているため、目にした諸現象に自分の想像を添えてしまい、必ずや駱家輝を中国官員の鏡に仕立て上げなければならなくなるのである。よって、一部の報道は変形したり真実に欠けたりすることも避けられなくなるだろう。

 駐中国大使としての駱家輝は、そもそも多くのボディーガードが必要なわけではない。バイデンが釣魚台国賓館で美食を楽しまず北京の街頭で麺類を食べるに際して使われた安全確保の代価ははなはだ大きかった。中国のあらゆる駐外国大使は赴任する際に、大勢の人を伴うようなこともないし、世界中でバイデンのようなレベルの人物は、チャンスがあれば訪問先の民間の食堂で食事を楽しんで取るのである。これらの行為をいずれも米国政治の「廉潔」に持ち上げたとすれば、これらの評論を作った環境がゆがんでいることを物語っているとしか言えない。

 中国官界の官僚のやり方はたしかに深刻であり、一部の官員が多数の随員を伴うのを好んでいるのも事実である。しかし、一部の評論家は、駱家輝現象を作るために、これらを素材としてこじつけ、社会の方もこれらを丸呑みにしているため、「駱家輝現象」になってしまったのである。駱家輝が家族を連れて北京の胡同(路地)を散策するというささやかな個人的行為であっても大いに称賛されるのは、たしかにやりすぎである。実際のところ、米国でも中国でも多くの高官は彼と同じように散策したいであろう。

 世論自身の問題以外に、駱家輝にとって、彼は中国世論から作られている「鏡」とならないように気を付けるべきである。意図的ではないかもしれないが、実際のところ、彼はそれらに合わせているのである。

 これは、彼の個人的な好み、あるいは米駐中国大使としての「新しい使命」によるものかもしれない。したがって、彼は中国世論での「廉潔ショー」をとても楽しんでいるようである。彼自身は中国のインターネットで言われているほど「質素」ではないのであるが。

 米駐中国大使として、中米両国の関係を発展させることに尽力し、お互いの誤解を解消すべきであって、中国の世論が内部紛糾する中で何かのキャラクターに扮することによって巧妙な方法で中国の世論に干渉し、中米間の新たな誤解と懐疑を生むべきではない。米国の大使が中国世論の「政治スター」となった際、彼はそれを強化せず、逆に「スター」色を薄めるよう努力すべきで、それが外交上において妥当なことではないか。

 駱家輝を大々的に宣伝する中国のメディアも自重しなければならない。もし、中国官界の腐敗や官僚主義を批判したいのなら、他の場合や他の角度からやればよい。外国から来た駐中国大使を美化しすぎるということ、とりわけ彼の中国における使命が「きわめて複雑」と思われる際に、こういったやり方はまったく妥当ではない。中国のメディアにとって、平常心をもって駱家輝らの私生活を冷静に見る気概と理性が必要である。

 駱家輝に米駐中国大使をしっかりとやってほしい。同時に中国の一部のメディアにも、彼らの身分を間違えないようにしてほしい。

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