THE EPOCH TIMES

英国バイリンガル子育て奮闘記(104)英国の大学から日本訪問(2009年)

2011年09月12日 07時00分
 【大紀元日本9月12日】美術ベースの建築のコースは、かなり厳しかった。資格をとるには最低7年かかる。とりあえず、3年間の学士のあと就職し、仕事の経験を最低1年積んでから2年間の修士課程に戻る。そして1年の見習いがあってようやく建築士になれる。実際にこの道のりを歩まなくても、最初の3年だけでも幅広い教育が受けられると知人に教えられた。まさにその通りで、筆記試験がない代わりに、模型作り、プレゼンテーション、ルネッサンスの建築物に関する論文、環境、素材、市政府からの許可の取り方などなど、あらゆることをやらされていた。

 何日も徹夜して制作した模型に「階段はないの?」と先生に皆の前で一蹴されたり、「なんでアイデアだけで寸法がないの?ラクな道を選んだんだね」など、1年生の最初からしごかれていた。2年生になってすぐ、娘から電話が掛かってきた。「日本に行くの」とまた、たわごとかと笑っていたら、今年、初めて課外学習に日本が加わったとのこと。なんでも娘の担任が日本に長年、建築士として居住していて、民家の設計にも関わっており、「是非生徒に自分の設計をみせたい」という先生の一念で実現した旅だったようだ。

 イタリアとかロンドンとかのオプションもある中で、16人の学生が日本ツアーに参加した。驚くべきことに、集合場所が東京駅。ロンドンから日本に行って、東京駅に着くまでは、フライトの手配から宿泊設備まで、各自で手配しなさいとのこと。東京では密集した建築物の中に残されている鳥居を見ることが組まれていたが、娘は自由行動にさせてもらい親戚に会いに行っていた。

 東京から新潟、金沢、そして飛騨高山を通って京都へという一週間の駆け足ツアーだった。先生の制作した建築物は金沢にあったようだ。地元の素材を利用したブラインドのようなものが掛かった民家だった。

 日本人の母親がアレンジした旅とは違い、100%、異国人の目で日本を観察する。角度の全く異なる旅になったようだ。温泉に入ったり、名古屋の大学での建築学科との交流があったり、京都では、夫のかつての日本語の先生に会ってもらったり、充実した旅になったと思う。日本の大学では学生一人にデスクが与えられていて、設備のよさに目を丸くしていた。予算の限られた娘の大学では、各自で設計ボードを購入し、大きめな部屋を借りていた。一緒に行った同級生たちにとっては、初めての日本で、かなりインパクトがあったようだ。ほとんど息を抜く暇のない建築コースだったが、なんでも担任の先生が旧友と会っているため、しばらく帰ってこないとかで、皆、カルチャーショックの中で数日ぼーっとする期間が与えられていた。

 (続く)

 著者プロフィール:

 1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。

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