THE EPOCH TIMES

【東北再興】消えない傷跡(4)海岸線

2011年12月15日 08時59分
 【大紀元日本12月15日】津波の影響を受けた600キロにわたる海岸線は、異なる清掃段階にある粉々になった建物からなる泥沼のゴーストタウンと化していた。一階の内部を全て海が飲み込んでしまい、建造物は脚柱の上に建てられたかのように見える。所有者または生存した家族が書類を提出するまで、家屋の撤去は行えない。申請者が取り壊し作業に立ち会う義務があるが、仮設住宅が遠く、移動の足がない場合、容易にできることではない。

 仙台から北東に40キロほど行ったところの東松島市に、家屋の取り壊し作業にかかる一握りの作業員の人影があった。一見したところ、この作業が始められるまでの書類手続きなどは想像もつかない。

 伊藤源一さん(80)は、8ヶ月前の新居をじっとみつめていた。天災が着工した作業をブルドーザーが完了させるところに立ち会うために来ていたのだ。近くには津波が打ち上げた452トンの漁船があった。本来ならば隣人の居間にあたる場所だった。

 地震から最悪の津波が押し寄せるまでの時間、伊藤さんの息子が車で伊藤さんとお孫さんを高台まで連れ出した。わずかばかり離れたところにある荒廃した妹の家を指差しながら、妹さんも生存したと語ってくれた。しかし、家族のうち5人が、避難途中の交通渋滞で亡くなった。

 伊藤さんは損害賠償に関して政府と交渉している。政府からは、家屋代は支払われており保険も掛かっているので、伊藤さんは幸運だという回答しか得られない。農家への補償は最低だから、最悪のケースだと伊藤さんは説明する。伊藤さんは、政府が土地を買い取ってくれることを望んでいる。彼のかつての居住区のほとんどの世帯は、空軍基地になるという理由から数年前に移転させられたからだ。

 つながり

 同じ東松島市内にある東名新場では、橋が流され、突然道路が中断されていた。撤去にあたる作業員は、満ち潮のため半日しか作業できないと説明してくれた。

 東北の海岸線のほとんどが地震で埋没している。多くの町は、復興が不可能な状態だ。再建できる場所とできない場所に関する政府の調査はほぼ完了するところだ。

 東名新場行政区の斎藤寿郎区長によると、東名新場の低地は300年ほど前に埋め立てられた土地だという。

 斎藤さん自身も家屋を失い、現在は義理の家族と住んでいる。600人の居住者の10分の1が津波に飲まれた。現在、全ての区民が居住できる土地を見つけてもらえるよう、宮城県に働きかけていると語ってくれた。

 土地が見つかるまでの間、斎藤さんは区民との連絡が途絶えないように、まとめ役をしている。6月にあった200世帯の家屋の撤去作業の着工式には約70名が参加した。家屋の建築に関しても着工式を予定している。

 荒廃した土地

 宮城県の雄勝や女川、さらに北上した海岸線の町は、壊滅的な被害を広範囲にわたって受けており、復興は見込まれないかもしれない。

 女川は、若葉の繁る丘に囲まれ、景観に恵まれた港町だった。津波は内陸に1キロ、海抜30メートルの高さで押し寄せた。1万1千人の人口のうち900人が死亡。港湾と商業地の跡形もない。丘の上の家屋は難を免れたが、かつて店舗やサービス業があった港町の大惨事後の湊を力なく見下ろしている。

 原発事故の後遺症

 福島県も同様に荒廃していた。原発からの核物質汚染もあり、さらに窮している。東京電力福島第1原発は、いまだに冷温停止状態を達成しておらず、966平方キロ範囲内の居住者、数十万人に対する長期的な計画も立っていない。

 政府が発表する福島産農作物の安全性をどこまで信用していいのか、日本の消費者は決めかねている。安全性の真偽はさておいても、農作物のブランド「福島」に汚名がついてしまったことは否めず、経済復興の足かせとなっている。

 (続く)

 (記者・シンディ・ドルーキエ 現地取材協力・こだまたくや 翻訳・鶴田)
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