THE EPOCH TIMES

【伝統を受け継ぐ】 茶道「表千家」

2012年01月31日 07時00分
 【大紀元日本1月31日】昨年暮、12月24日に奈良市西大寺芝町にある西大寺光明殿で「チャリティー茶会」が開かれた。受付にはサンタクロース姿の男性、受付前の広い控室には和服姿の女性に交じって洋服姿の男女も多く、ミニスカートやデニムのハーフパンツ姿のヤングも席入りを待っている。大広間の床には、大きく立派な聖書が上座を占め、松の盆栽は綿の雪で飾られクリスマスの雰囲気を演出している。
西大寺の光明殿(大紀元)



 この茶会は、表千家、森埻加史(たかし)宗匠とお弟子さんの会、青嵐会によって「多くの人に気軽にお茶を楽しんでもらいたい」との趣旨で2008年から毎年開かれているもので、収益金は社会福祉事業に寄付されるという。

 「長年お茶をしてきて、何か社会のお役にたてないか」と考えたのが「チャリティー茶会」のきっかけだったと森宗匠は話す。「ポスターから切符、茶席の設えまで全て、会の皆が工夫して手作りでやっています」「今年は特にお客様が多くて、250人近く来られました。うれしいことです」とも。

 新年、まだ松飾の取れない正月9日に森宗匠のお宅を訪ね、表千家の茶道と修行などについて話を聞く機会を得た。
森埻加史宗匠(大紀元)



 表千家とは言うまでもなく、16世紀に「わび茶」を大成した千利休の伝統を直接受け継ぐ三千家の一つである。利休の孫にあたる宗旦の三男、江岑宗左が本家である表千家を、四男の仙叟宗室が別家、裏千家を継ぎ、次男の一翁宗守が武者小路千家を立て、以来現在に至るまで利休の「わび茶」を伝承している。

 森宗匠が茶道を志したのは40年ほど前のことであった。それ以前にも、やはり茶人であった父、森泰輔さんの下で稽古はしていたが、将来については茶の湯を一生の道とは考えていなかったという。そんな森青年が「この道を究めたい」と思うにいたるには、ひとつの出会いがあった。

 それは13代表千家家元、即中斎宗左宗匠との出会いであった。「人物の大きさ、大らかさに強い印象を受けました」「この人に近づきたい。是非この人の下で修行したいと思いました」とその出会いを振り返る。

 26歳で表千家の内弟子となり、京都の表千家で即中斎宗匠の家族と起居を共にしての修行が始まった。表千家では内弟子は「玄関」と呼ばれ、その生活は掃除に始まり、掃除に終わる毎日だったという。茶の湯の稽古はいつやるのかという問いに「生活のすべてがお茶なんですね。点前をやるだけが茶道ではないのです」と森宗匠。

 茶の湯で一番大切なことは、自然体だという。「山の清水が流れるように」お茶をたてる。「余分な力が入ってはいけない」。そして、難しいのもこの自然体だという。「いくら修行しても、なかなか到達できないのが自然体です。何でもないことを自然にそのままやる。これが難しいのですね」と穏やかに語った。

 では、自然体になるにはどうすればよいのか。「先ずは基本の形をしっかりと身につけることです。形に不安があると、心の修行はできません」。その上で全体をとらえる目、ものごとを大きく見る目を鍛えることも大切だという。「弓道では的を見てはいけないといいます。そのずっと先を見て矢を射る。お茶も同じです」「当初は全神経をかたむけて点前に集中しなければなりません。さらに、そこから進んで全体に及び、主客ともども敬愛の念を持ち、一期 一会の気持ちで茶会を行います」と主客の心得も。

 茶の湯から華美な部分、余分なものをそぎ落として完成したものが「わび茶」であると言われる。その「わび」とは何なのだろうか。「利休さんは雪間の草と表現しました」。藤原家隆の歌「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」の一節である。「わび」というのは決してみすぼらしいものではない。簡素な中に力強い生命と美しさを秘めたものである。それを見る目はそれぞれの心の中にあると森宗匠はいう。

 (温)


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