【紀元曙光】2021年1月25日

相撲を日本の国技とする規定はないが、そう認識されている。
▼休場者が続出するなど、コロナ禍に揺れた大相撲初場所が大過なく終わった。13勝2敗で幕内最高優勝を飾ったのは平幕の大栄翔関。女手ひとつで育ててくれた母に楽をさせたいと、得意の突き押しを磨き続け、積み上げてきた努力が花開いた。お見事と称賛したい。
▼相撲は本来、神前でおこなう神事である。剣道や柔道など各種の武道を稽古する場にも神棚があり、その方向への礼儀は欠かせないが、今日、競技そのものに神事の様式が残されているのは、おそらく相撲だけではないか。特に、プロの興行としておこなわれる大相撲は、髪形から服装、日常の所作に至るまで伝統を守るという文化的要素がつよい。
▼塵手水(ちりちょうず)は、正々堂々、身に寸鉄も帯びずに戦うことを互いに示すものだが、何より廻し一本の裸姿で組み合うことが、その精神を表している。
▼これを「神事」とする思考は日本独特のものらしい。司馬遼太郎さんも「クルリと裸になるというような非礼教的行為が、朝鮮人にとってありうることではなく(中略)平気でハダカになるような人種を警戒し、ときに戦慄する」(韓のくに紀行)と書いている。儒教道徳が骨髄まで染み込んだ韓国人にとって、日本人の儒教への破戒ぶりは、まさに非礼の極みとして「戦慄」する。
▼中国人にとっても、ハダカの日本人は近世以前の倭寇(わこう)を連想させる、非文明人の蛮風と映る。そうした文化観の違いを、司馬さんは、いとおしい気持ちで腹をかかえて笑う。小欄の筆者も同様である。