THE EPOCH TIMES

ミャンマー難民1万超が雲南省へ流入 国境封鎖する中国

2012年02月13日 08時36分
 【大紀元日本2月13日】このほどミャンマー政府軍と、ミャンマー国内で最大の力をもつ反政府組織・カチン独立機構(KIO)の軍事部門であるカチン独立軍との間で武力衝突が勃発。その影響により、現地に住んでいたカチン族のうち1万人以上が難民となり、国境を接する中国の雲南省内に保護を求めて殺到している。中国政府は難民の流入を阻止するため、これまで数回にわたり国境を封鎖しようとしてきたが、大量の難民が中国国内に入った。ミャンマー難民の命運は、中国政府によって本国へ送還されるか否かにかかっているという。

 人道援助よりも、国境封鎖で対応する中国

 ロイター通信の2月7日報道によると、ミャンマー政府軍と反政府軍との間で生じた武力衝突によって、1万人以上の難民が中国領内である雲南省に入ったもよう。この事態は、今後、人道的な見地からも注目されることが予想され、中国政府にとっては外交上の難題となる可能性がある。現在のところ中国政府は、現地の難民キャンプの存在は黙認しているが、政府として官員を派遣して認可するなどの処置はとっていない。

 ミャンマー難民を救済する非政府組織CWMPF(Central Western Missionary Prayer Fellowship)は、発表した声明のなかで次のように述べている。

 「2010年1月1点xun_ネ来、ミャンマー北部のカチン地区では武力衝突が続いており、4万人に上る難民が中国との国境付近に押し寄せた。そのうち、すでに約2・5万人が国境を越えて、中国の雲南省に保護を求めている」

 これに対して中国政府は、難民の流入を阻止するため、これまでに数回にわたり国境の封鎖を企図してきた。また中国政府は、2009年にミャンマー難民が中国領内に流入した時に海外に対して難民への人道的援助を求めたことと異なり、今回そのような動きは見せていない。

 数年前にミャンマーを離れ、現在は米国に住むカチン族のアファさんは、大紀元の取材に対して次のように述べた。

 「いま中国にいるミャンマー難民は、遅かれ早かれ、本国に送還されるだろう。これより以前にミャンマーを脱出した人も、みな最終的には送還されている。送還後、彼らはミャンマー政府が掌握している地域に入ることが禁じられているため、生きる環境が極めて制限される。そのため生活は貧困となり、毎月親戚や友人を頼ってわずかな食物を手に入れて、やっと生きているのだ」

 さらにアファさんは、次のように語った。

 「政府軍は、私の故郷で、人々を銃殺したり、金品をゆすり取ったり、農民を苦しめるなど悪事の限りを尽くしている。タイにあるカチン婦女協会によると、2010年の6月から7月の間に、政府軍によって性的暴行を受けたカチン族の婦女子は32人に上り、そのうち13人が殺害されている」

 政府と対峙して40数年、自治を求めるカチン族

 ミャンマーのネ・ウィン前大統領は、かつて「ビルマ(ミャンマー)には多くの民族がいる。そして、それと同じ数だけの反政府武装組織がある」と語ったことがある。

 ミャンマーは、135の民族を擁する多民族国家である。そのうち68%を占めるビルマ族が自民族を中心とする政治を続けているため、ミャンマー国内の民族問題は、非常に複雑で、一触即発の様相を呈している。

 1961年、カチン族は独立自治の実権を奪い取るために反政府武装組織を立ち上げた。その流れで現在に至っているカチン独立機構(KIO)は、ミャンマー政府にとって、最も対応しにくい反政府組織の一つとなっている。

 先述のアファさんは、「カチン独立機構の軍は、ミャンマー政府軍と40数年にわたって戦火を交えている。その間、3千人以上の政府軍兵士を倒したが、独立機構側も100人以上を失った。1994年から2011年6月までの17年間、政府との交渉をずっと続けてきたが、一向に問題解決には至っていない」と言う。

 17年の和平停戦、水泡に帰すか

 今回の武力衝突が起きたミャンマー北部のカチン州は、ミャンマー太平江水力発電ダムの建設が続けられている地区であるとともに、カチン独立機構が実効支配する地域に属している。

 ところが太平江ダムを建設するに当って、その工事を行う中国側の企業は、カチン独立機構を顧みず、ミャンマー政府だけを相手に建設に向けての協議を進めてきた。

 そのことがカチン側の不満を刺激したため、同ダムを取り囲む地域の実権をめぐって、カチン側と政府が激しく干戈を交えることになったのである。

 2011年6月13日、戦闘は一時停止され、双方が捕虜の交換をすることを約した。

 カチン独立機構側は、ミャンマー政府軍の軍官2人と兵士1人を政府側に送った。これに対して、政府側がカチン側に送り返したものは、すさまじい暴行を受けて死んだ連絡員の「死体」であった。

 このことが、再びカチン族を激怒させた。影響はすぐに広がり、政府側の2度にわたる停戦の申し入れを、カチン側が拒否したのである。

 カチン独立機構のある高官は、こう公言している。

 「まもなくミャンマー全土において、再び開戦の火ぶたが切られるだろう。1994年に締結した和平停戦の協議は、すでに反故にされた」

 カチン新聞ネットの2月8日報道によると、カチン独立機構のある幹部が最近、公開会議の席でこう発言したという。

 「我われは、ミャンマー政府と正式な政治対話がしたいのであり、停戦協議への署名を望んでいるのではない。ミャンマー政府には、我われカチン族が強い政治的要求をもっていることについて、もっと関心をもつよう希望したい」

 中国領内へ大量に流入した難民の扱いも含めて、今後もミャンマー情勢から目が離せない。

(記者・陳怡蓮、翻訳編集・牧)


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