THE EPOCH TIMES

中国伝統文化への誘い(九) 清

2012年02月06日 07時00分
 【大紀元日本2月6日】

 チャイナ服ってどんな服?

 ステレオタイプという言葉があります。一定の形状やイメージによって固定化された認識のことですが、それは往々にして揶揄的であったり、実際とは異なる先入観であることが多いものです。

 中国人と呼ばれる人々が、世界に10数億人います。中国系の海外在住者も含めたら、それこそ20数億になるかも知れません。それくらい多いのが中国人なのですが、その中国人のイメージはと言えば、20世紀後半まで至っても、後頭部に辮髪を垂らした男や、足横にスリットの入ったチャイナドレス(旗袍)の女性など、ステレオタイプ的な観念から抜け出せずにいました。

 妙齢の女性が着るチャイナドレスは確かに人目を引くので、名称までつい許容されてしまうのですが、服飾の文化史から見れば、これを中国人の伝統衣装とするのは正確ではありません。

 チャイナドレスは全くの和製英語で、英語ではマンダリン・ガウンと言います。マンダリンとは「満大人」つまり満洲族の貴人を指す言葉であり、中国語の旗袍(チーパオ)の「旗」も満洲族の名流を意味する満洲八旗に由来するものです。つまり、これは本来、満洲族の民族衣装ということになります。

 漢民族の伝統的衣装は漢服(かんふく)と呼ばれるもので、ゆるやかな袖と身頃をもつ、全く別の系統の衣装です。かつて和服を扱う店を「呉服屋」と呼んだように(実際の形態はだいぶ異なっていますが)、日本の着物は漢服の系統に属します。

 これに対し、旗袍は騎馬民族の衣服ですので、体側のスリットも本来は乗馬に都合がよいようにという機能的な必要から設けられたものなのです。

 辮髪もまた満洲族の風習であり、漢民族にもともとあったものではありません。それらが、なぜこれほど漢民族に浸透し、海外からも中国的伝統であるかのように認識されるに至ったのでしょう。私たちはそこに、清という時代の圧倒的な存在感を認めないわけにはいかないのです。

 明の失敗に学んだ清王朝

 清(1636~1912)は、満洲族によって建てられた王朝、つまり漢民族の観点から言えば異民族による被征服王朝です。

 その満洲族の清は、近世から近代直前までの世界史において、「中国」そのものになりました。先述のステレオタイプ的な中国人像が世界中に広がった主要因も、まさにそこにあります。

 満洲族は、古くは北方系騎馬民族の女真族に連なる民族ですが、清の第2代皇帝ホンタイジがモンゴル系の契丹に従属していた当時の女真族の名を嫌い、自民族の名を満洲族と定めました。

 現在の中国共産党による統治下では、国内に1000万人以上いるとされる満洲族を「少数民族」の一つと位置づけ、なぜか名称も「満族」という本来的ではない呼び方にしています。彼らの民族的覚醒をことさら恐れ、忌避しているかのようです。

 歴史をさかのぼれば、満洲人は漢人に対して、死罪をともなう厳しさで辮髪を強制するなど支配的な面も確かにありました。

 しかし一方、中国の伝統文化を尊重し、またこれを大いに振興することで国家を隆盛させたという点では、清朝ほど奇跡的な成功を遂げた王朝はなかったでしょう。

 これは、漢民族の前王朝である明には全くできなかったことです。明は、暴君による恐怖政治と暗君による国力浪費、そして、それらが招いた宦官の専横と腐敗で国を自滅させました。

 清は、その後半において海外列強の圧力により苦労しましたが、明の失敗の轍を踏まないように、宦官が政治に関与することを厳禁するとともに、皇帝自ら漢文化を積極的に学び、これを具現化させるよう努めたのです。

 清の皇帝に以下のような多くの名君が生まれたのは、まさに中国伝統文化を尊重した結果と言えるでしょう。

 清朝皇帝の文化振興

 第3代皇帝の順治帝は、24歳の若さで病死したことが惜しまれるほど、その短い生涯に大きな功績を残しました。

 6歳で即位した順治帝は、幼少のころは叔父で摂政のドルゴンに実権が握られていましたが、帝13歳の時にドルゴンが死去すると、内政改革を目指して親政を始めます。

 そのような順治帝が大変な読書家であり、漢文化を自ら進んで学ぶ英明な皇帝であったことは、この後に続く康熙・雍正・乾隆の3大名君に先駆けて、中国の理想的君主たる模範を示すのに十分なものでした。

 第4代皇帝の康熙帝は、今日もなお唐太宗に並び称される、中国史上最高の名君と言われています。

 その功績をここに列挙するにはあまりにも紙幅が足りませんが、一言でいえば、文武両道に秀でた康熙帝は、内政・外交・軍事・文化振興のいずれにも輝かしい成果を挙げた稀代の賢帝であったことに尽きます。

 呉三桂など明の降将が起こした三藩の乱を鎮定し、台湾の鄭氏を降伏させて、ついに実質的な中国統一を果たしたのがこの康熙帝の時代でした。

 また帝政ロシアとネルチンスク条約を結んで、清露両国の国境を確定しました。これは清がヨーロッパ諸国と対等に結んだ最初の国際条約ですが、その面積は現在の中国の版図より大きく、条約締結の経緯および内容も明らかに清の優位を示すものでした。後世、アヘン戦争に敗れて香港を割譲させられた屈辱的な南京条約とは天地の差だったのです。

 康熙帝はまた大変な学問好きであり、漢人の学者を常に身辺に置いて勉学に励んだといいます。それが文化重視の国策につながり、やがて『康熙字典』『古今図書集成』などの編纂へと結実することになります。

 先帝の在位が61年と長かったので、第5代皇帝の雍正帝が即位したときはすでに41歳になっていました。しかし働き盛りでの即位は、すぐさま実務への全力投球が可能という最大の利点をもたらしたのです。

 新帝はまず、強権を行使して弊害になる者らを排除しましたが、それは決して雍正帝が暴君であることを意味するものではありません。

 雍正帝は、政務を行うことにかけては極めて勤勉であり、また民衆の手本になるよう率先して倹約に努める高潔の皇帝だったのです。その上、全国から送られてくる上奏文の一つ一つに目を通し、皇帝自ら朱墨で返事を書くという膨大な政務を毎日こなしました。

 そして第6代皇帝・乾隆帝の時代に、清朝は最盛期を迎えます。

 中国最大の漢籍叢書『四庫全書』は、乾隆帝の勅命によって編纂が開始され、完成までに40年を要した一大国家事業でした。

 それを清朝の大規模な「検閲」とする見方もあります。また「文字の獄」と呼ばれる文人弾圧も複数回にわたり行われ、反清反満とされた文辞の作者を死罪にする苛烈さも見せました。しかし、それらを異民族王朝である清の中国文化抑圧と見るのは、いささか近視眼的すぎるというものです。

 中国における学問は、「政治」とほぼ同義語です。そうであるからこそ、中国伝統文化を尊重した清朝の歴代皇帝は、また同時に極めて政治的なムーブメントとしての文化事業を行ったと見るべきでしょう。

 真の文化は神韻にあり

 17世紀前半に建った中国最後のこの王朝は、ほとんど奇跡的なほどの珍しさであったと言えますが、19世紀後半から20世紀初めにかけても東方の文明国であり続けました。少なくともその精神においては、世界の「中華」であったことは確かです。

 しかし英仏独露などの欧州列強と、それに後から加わった米国および日本が、

 そのような旧来の中国であることを許さない強大な外圧となって清に迫りました。また国内においても、近代国家建設を目指す新進の知識青年たちが、古さのあまり化石化した巨木をまずは切り倒さなければとばかり、清朝打倒に気炎を上げました。

 そうして今からちょうど100年前の1912年2月12日、清朝のラストエンペラー宣統帝は退位し、前年の10月から続いた辛亥革命は終ります。

 20世紀の中国は、それぞれ外国勢力と結んだ軍閥が割拠し、二度の世界大戦の被害をまともに受けるなど不幸の連続でしたが、中国人と中国伝統文化にとって最大の悲劇は、1949年からの中国共産党による支配でした。

 以来、正統な中国伝統文化は、中国共産党によって溶鉱炉に放り込まれるように消滅させられたのです。今日、中国に残っているものは、全て似て非なる偽文化であり、それらは多かれ少なかれ中国共産党の影響を受けたものであるため「党文化」と呼ばれています。

 真の文化とは、高い道徳性を内包して、人間を正しく導く教育力を備えたものに限ります。

 つまり、若者の新しい風俗や単なる愛好の集合体を「~文化」などと呼ぶのは、文化の原義に全く外れた用語ということになります。まして「党文化」などは、中国人のみならず、全人類に百害をもたらすものに他なりません。

 中国伝統文化の真髄を今日に伝えているのは唯一つ、神韻芸術団だけです。

 どこまでも美しく清らかな神韻公演のステージを、なぜ中国共産党がこれほど恐れるのか、その答えはすでに明白です。

 先述してきたように、「文化を尊重した王朝は栄え、文化を破壊した王朝は滅びる」という絶対的真理を、歴史が証明しています。そして神韻の登場は、「中国伝統文化の破壊者」という中国共産党の醜悪な姿を映し出す真実の鏡が、この地球上に出現したことを意味するからです。

 「中国伝統文化への誘い」というテーマで進めてきた本文も、そろそろ終わりの時が近づいています。ただし、本文のなかで、このテーマの結論を述べることは私には到底できません。

 「中国伝統文化への誘い」の最終章は、これから皆さんにご覧いただく神韻のステージのなかにあります。それは、神韻こそが本物で唯一の中国伝統文化であり、人類を正しく導く、清流であるからです。

 神韻日本公演がまもなく始まります。

 神韻の会場で皆さんにお目にかかれることを、心から願っています。

 
(牧)


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