【芸術秘話】東洋絵画の技法 没骨法

東洋絵画の技法、没骨法は東洋絵画の技法の一つです。没骨の「没」は「見えない」という意味で、「骨」はここでは「輪郭」を意味しています。中国絵画は通常、筆で輪郭や線を用いた絵画が多く、「没骨法」はつまり、線を用いらず、下書きせずに直接色彩で描いていくという技法です。

この技法が最初に現れたのは山水画でした。南朝梁の武帝のころの画家・張僧繇はかつて、青・緑・朱・赭・白などの色を使って、えんえんと連なる山々と木々や岩などを描きました。

このような技法は甘粛省の敦煌市の佛教絵画でも見られ、西域から伝わってきた可能性が考えられました。その後、唐の時代の画家・楊昇の没骨山水画から有名になりました。

この技法が花鳥画に使用されたのは、それから数百年後のことで、山水画の時より繊細になり、五代十国時代の南唐の画家・徐熙と前蜀・後蜀の黄筌とともに花鳥画の二大流派を創始しました。「野逸」と評されている徐熙の画風は水墨を主体とし、淡い色彩を施し筆跡を隠さないため、「落墨花」とも呼ばれています。一方、黄筌は細い筆で輪郭を描き、それから色を足していくという画法を使用しました。写意的な徐熙の絵画に対し、黄筌の流派は細部まで拘り、写実的な絵画となっています。

五代 黃筌「写生珍禽図」(パブリックドメイン)

北宋の徽宗時期の『宣和画譜』という書物に黄筌の『没骨花枝図』が記載されていることから、黄筌が没骨花鳥画の創始者と考える人もいましたが、この書物には絵のタイトルだけで詳細な画法は記録されていないため、黄筌が没骨花鳥画の創始者であるという確証はありません。しかし、徐熙の孫・徐崇嗣が墨線を用いない没骨画の創始者であるという記載は残されています。
 

清初の文人画家・書家、惲壽平の作品「秋海棠」(パブリックドメイン)

また、没骨画を輪郭、線のない絵という認識は厳密に言うと不十分です。本来、没骨画は完全な色彩画で、つまり、色彩と輪郭がないことが没骨画の絶対条件です。

清初の画家・惲寿平は徐崇嗣の没骨画を研究し、積極的に没骨花鳥画を復興し、清の時代の花鳥画に大きな影響を与えました。

(作者 邱馨賢/翻訳編集 天野秀)