THE EPOCH TIMES

中国版 受験生ブルース

2012年05月01日 07時00分
 【大紀元日本5月1日】中唐の詩人・孟郊(もうこう)の詩に「登科後」という一首がある。書き下し文で次に記す。

 「昔日の齷齪(あくせく)誇るに足らず。今朝、放蕩(ほうとう)として思いは涯(はて)無し。春風、意を得て馬蹄(ばてい)疾(はや)し。一日にして看尽くす、長安の花」

 登科後とは、めでたく試験に合格した後のこと。言葉を補足しながら詩意を解釈する。

 「試験勉強に明け暮れ、あくせくしていた昔の自分のことは、どうにも自慢にはならない。しかし今朝は、心がのびのびとして、その嬉しさは果てしないほどだ。春風をうけて、得意満面。私が乗った馬の蹄も軽やかに進み、わずか一日で、長安の都の花を見つくしてしまう」

 孟郊(751~814)は、官_li_登用試験である科挙に落ち続けた人物で、最終段階の進士にようやく合格したのは45歳になってからだった。詩は、その時の合格の喜びを手放しで詠っている。

 時は旧暦3月、今日でいう4月ごろの春の盛りに、いよいよ合格発表がある。その日、合格者は馬に乗って長安の市内をめぐり、貴族の大邸宅に入って自由に牡丹を観賞してよいという特典があった。45歳の受験生だった孟郊も、ついに晴れの日を迎えたのである。この春の牡丹は、さぞや目に染みたに違いない。

 いわゆる科挙(かきょ)が始まったのは、隋(581~618)の時代とされる。魏晋南北朝時代から続いていた門閥貴族からの世襲かつ独占的な官_li_登用を、試験による実力主義に改めるという画期的な方法をとったのが、煬帝の父で隋の名君・文帝であった。

 科挙の実施は、官_li_の任命権を貴族から皇帝のもとへ戻すという重要な意義があった。また、これによって経書の研究が進み、学問の発展を促したことは確かにプラスの側面であっただろう。

 さらには、唐代に入ると詩作が試験科目の一つに加えられたため、詩の定型化と作詩ルールの整備が進み、唐詩の秀作が爆発的に増えた。何といってもそのことが中国伝統文化を輝かしいものにした功績は否めない。以来、詩は中国文人の必須の教養となったのである。

 その一方で科挙は、時に受験生を狂わせるほど過酷な試験となった。隋の598年に始まった科挙は、途中、モンゴルの元で中断した時期があったが、唐、宋、明、清と、ほぼ変わることなく清朝最末期の1905年まで続く。

 1300年続いた試験制度というのは、当然ながら世界史上にも類を見ない。それだけでも驚くべきことだが、実際のところ、科挙をめぐる人間模様にはすさまじいものがあった。

 試験による実力主義で誰でも立身出世できるというのは、明確化された制度として、ひとまず可としよう。ただ、これによって東洋世界は試験一辺倒の価値観に染まり、親も子供もひたすら合格を目指して狂奔するという、もう一つの「伝統」を形成した。

 今日の中国および韓国の大学受験を見ると、そのすごさが伺える。日本もかつて受験戦争などという時代があったが、フォークソングの歌手が「受験生ブルース」を歌うなど、まだパロディ化して面白がる余裕があり、激しさという点では中国・韓国には遠く及ばないのだ。

 日本にも、平安朝のころ試験制度はあった。ただし、中国の科挙に相当する重みで、全国規模でそれが行われた歴史はない。中国と韓国(朝鮮)には、ある。その差が、例えば同じ儒教文化圏にありながら、教師の中国、優等生の朝鮮、劣等生の日本という厳然たる格差を生んだ。

 後に、19世紀末の近代化において日本が一歩先んじたことを思えば、劣等生でよかったと言えなくもない。ともかく日本における儒学(学問としての儒教)は、武士の教養や漢文学者の研究対象ではあったが、一族の命運をかけて全力投入する立身出世の手段にはならなかった。

 18世紀中頃に書かれた白話小説の傑作『儒林外史』は、この科挙に振り回される人々の様子を、すぐれた文体で描き出している。なかでも老年に近くなった「受験生」の范進が、合格の知らせを聞いたとたんに発狂してしまう場面は、ぞっとするほど衝撃的である。

 科挙には、その試験のグレードによって、多くの段階がある。このとき、范進が合格したのは郷試という中間段階の試験であった。郷試の合格者は挙人と呼ばれ、まだ進士になったわけではないのだが、ともかく郷試の受験資格をもつ生員(秀才)から抜け出して挙人になることで、ようやく正式な合格者と見なされる。54歳の新挙人である范進は、いわば出世コースのスタートラインに立ったのである。

 その范進を取り囲む庶民たちは、つい先ほどまで、うだつの上がらない受験生の范進を馬鹿にしていた。ところが、合格の知らせを聞いたとたんに態度を一変させ、たちまち下へも置かない「挙人様」扱いとなる。将来の高官を見越して、うまみにあやかるため周囲に群がる人々。この『儒林外史』は、リアリズム小説としてもレベルが高い。

 科挙の受験生は、貢院(こういん)という個室に別れた広大な受験会場に何日も泊まり込んで答案を作成する。その貢院には、深夜になると、狂死した受験生の幽鬼が野火のようにゆれて現れるという。

 その光景を想像すると、日本人の感覚としては、受験勉強もほどほどでよいように思う。

 あとは試験に関わりなく、大輪の牡丹を愛でていたいものだ。

 
(牧)


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