THE EPOCH TIMES

【ぶらり散歩道】ー北海道篇ー 赤い靴 親子の像(小樽)

2012年07月26日 07時00分
【大紀元日本7月26日】

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

 童謡「赤い靴」(野口雨情作詞、本居長世作曲=1922年)は、誰でも口ずさめるメロディーで、この歌とともに、横浜山下公園の「赤い靴はいてた女の子像」を思い出すだろう。しかし、赤い靴の女の子の像は、日本各地に七つの像があることを「赤い靴・親子像」に出会ってから知った。

 私は小樽にある旧日本郵船(株)小樽支店(国重文)を探して小樽運河公園に行って、公園の片隅に建てられていた「赤い靴 親子像」に出会った。私以外は誰一人いない像の周囲には、ほのぼのとした暖かい空気が流れていたように思えた。

 ここに来るまでの道のりは遠かった。どこへ行っても歩いて目的地まで行くことを信条にしているが、体調が万全でなかったせいか、運河公園までは遠く感じた。小樽駅前から中央通を下って、右手角のホテルノルド小樽を見て右折して何度か戻ろうかと思いながら25分ぐらいも歩いて、左手に公園が見えたときは正直ホッとした。

 生半可な知識を披露するのではなく、像の裏面に書かれて碑文を紹介したい。

 童謡「赤い靴と小樽の街」
 この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に託され、わずか9歳でこの世を去った。

 1907年に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて1922年童謡「紅い靴」が生まれた。

 札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べて親交をもつ。

 鈴木夫妻は各地を転職した後、1940年小樽のカトリック富岡教会の門前に居を構え、きみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。

 私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。

 天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて…

 2007年11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会

 女の子の悲しい話を読んでから、台座の下にあるボタンを押してみた。もの悲しい「赤い靴」のメロディが、人気のない公園に流れた。かなり疲れたので、帰りはバスに乗って帰ろうと思ったが、待ち時間があまりにも長いので、疲れた足を引きずって長い坂を上って小樽駅に戻った。

横浜市山下公園: 赤い靴はいてた女の子像(1979年=昭54)
清水市日本平: 赤い靴母子像(1986年=昭61)
東京都麻布十番: きみちゃんの像(1989年=昭64)
北海道留寿都村: 母思像(1991年=平3)
北海道小樽市: 赤い靴・親子の像(2007年=平19)
青森県鯵ヶ沢町: 赤い靴の女の子記念像(2008年=平20)
北海道函館市: きみちゃん像(2009年=平成21)

昭和2年(1927)建築の試飲ができる田中酒造

立派な石蔵、実は公衆トイレ(内部は明るく清潔)

いつまでもいつまでも見ていたい赤い靴・親子の像

躍動する少年少女を見ている鴎

丸いドームが目印になるホテルノルド小樽

(江間十四子)


 
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