古代の疫病の黙示録 疫病にかからない人もいる

この記事は2021年6月19日に掲載されたものです

 

人間を襲う正体不明の病気、医療資源の崩壊、死体を燃やし続ける火葬場、疫病の原因は何でしょうか?

なぜ、ここで起きていて、あそこで起きていないのか? その背景には、私たちが考えるべき理由があるのでしょうか?

疫病から逃れるには?

最近では、パンデミックが一転して、特にインドでは恐ろしいことになっています。2021年5月19日、1日で4500人以上の人が亡くなり、コロナが発生開始以来、1日の死亡者数としては世界で最も多い数字となりました。そして何よりも悲しいのは、この中で死亡した人の多くが第一線で闘う医師たちであったことです。また、これまで防疫の面で最も優れていた台湾でも、ここ数日で急激に流行が高まり、確認された患者数は数日100人を超えています。

そのため、多くの人がワクチンに期待を寄せ、ワクチンを接種することでウイルスに対する免疫を得ようとしていますが、果たしてワクチンだけでコロナの蔓延を終わらせることができるのでしょうか。

 視点を変えてみましょう

2020年の流行を正確に予測したことで有名となった14歳のインドの預言者アナンドさんは、ワクチンでは問題は解決しないどころか、新たな問題を引き起こす可能性があると、異なる見解を示しています。 薬やワクチンといった不自然な治療方法に頼りすぎているため、流行はさらに悪化するでしょう。また、突然変異した株に対してワクチンが有効であるという科学的な証拠はありません。

アナンドさんは、疫病は天の変化の結果であって、人類全員が原因であり、それを克服するためには、世界が内から目覚める必要があると考えました。彼が提案した解決策の一つは、への信仰を取り戻すことでした。

「隔離と予防」の対策は有効か? 

古代では、疫病は神の計らいであり、疫病には生死が決まっていると言われていました。 西洋キリスト教では、疫病は神の罰と考えられており、「神様が疫病の一番の原因である」とされています。もしそうだとしたら、見かけ上の隔離措置で本当に疫病を抑えることができるのでしょうか。

検疫の意味についてお話ししましょう。現在、世界中で流通している英語のquarantineという言葉は、最初はイタリア語のquarantinoから派生したものです。

14世紀、黒死病がイタリアのヴェネツィアやピサを襲ったとき、フィレンツェでは「衛生条例」を広く知らせ、感染した船の乗組員は下船を禁止され、クァランティーノ(40)と呼ばれる40日間の隔離を義務付けるなど、厳しい防疫措置を取りました。これはヨーロッパで最も早く、最も完璧な検疫システムであると考えられています。

しかし、その効果はどうだったのでしょうか。フィレンツェの人口の8割が黒死病で亡くなり、イタリアで最も被害の大きい都市となりました。

また、1664年にロンドンで伝染病が発生したとき、ロンドン市議会は厳しい隔離措置を導入し、警察、死体捜索員、死後検査員など、あらゆる面での防疫対策を行いました。政府は感染地域全体を隔離して、立ち入り禁止にしました。感染者やその疑いのある者は警察によって隔離収容所に送られ、逃亡を防ぐために、特別監視員を派遣しました。移住者の管理もさらに厳しくなりました。

伝染病はフランスなどにも広がり、同時期の他国に比べてイギリスの予防策は最も充実していましたが、その効果は非常に薄かった。

当時は毎週約1000人が亡くなり、多くて7000人を記録した日もありました。8月から10月にかけて、ロンドンでは7万人以上の遺体が埋葬されました。

伝染病はほぼ同時に消滅

1666年9月、ロンドンの街に火事が襲い、伝染病は消滅しました。火事によって衛生状態の悪い家や、原因とされたネズミやノミが焼き払われ、伝染病が消滅したと考えられています。

しかし、不思議なことにヨーロッパ中のすべての都市で、ほぼ同時に伝染病が消滅していました。しかし、この病気でロンドン人口の5分の1が失われ、10万人以上が死亡しました。

疫病にならない人もいる

古代ローマで大疫病が発生したとき、多くの人々はキリスト教徒が疫病にかからないのを見て、反省し、キリスト教徒の教えを聞き、神に祈るようになり、多くの人が治りました。

1633年、ヨーロッパを席巻していた黒死病は、ドイツのバイエルン地方にあるオペル・アメガウ村にも襲いかかり、2家族に1人以上の割合で死者が出て、住民に大きな恐怖を与えました。絶体絶命の中、神を思い出した村人たちは、神に祈り、黒死病から生き延びたら恩返しをして、踊りという形で感謝の気持ちを伝えようと誓ったのです。

奇跡的に、村人たちが誓いを立てた瞬間から、黒死病による犠牲者は1人もいなくなりました。翌年、村人たちはその約束を守り、「キリストの受難」を上演しました。

黒死病が発生した時、ヨーロッパの修道士だったマルティン・ルターは、神がペストを送ったのは罰であり、神への信仰を試すためであると述べています。

周りの多くの人がペストで亡くなったにもかかわらず、ルターは感染地域で、病人や瀕死の人に奉仕し続けることを選びました。彼は家を開放し、妊娠中の妻カトリーヌとともに病人を受け入れました。ルターは、神はペスト患者の世話をするキリスト教徒に免罪符を与えたと信じていました。「経験上、愛と献身と誠意をもって病人の世話をする者は、たいてい守られます。毒を盛られても、殺されません。」と語りました。

「欲に駆られて、あるいは財産の相続を期待して、あるいはその他の個人的な利益のために病人に付き添う者は、感染したり、醜い姿になったり、あるいは死んでしまったとしても、驚くべきことではない」と述べています。 結局、ルターの家族は感染せずに、幼い娘は生まれてすぐに死んでしまいましたが、それでもルターの神への信仰は変わりませんでした。

古代と現代の疫病の共通点から、人類が大規模な疫病に直面したとき、隔離措置や医療行為だけでは治らないことがわかります。疫病の中にあっても、人間は天を仰ぎ、自らを省みて、その原因を見つけなければ災いを免れません。

以前、ある医療専門家が「今回のパンデミックは誰もが免れない試練であり、誰にとっても学びの場である」と言っていたのを思い出します。このテストを無事に通過し、真の平和を手に入れることができますように。

(翻訳 呉 思楠)