THE EPOCH TIMES

高智晟著『神とともに戦う』(83)権利を護りぬいた軌跡「この政権の敵は他でもない」(2)

2013年01月09日 12時40分

「2003年2月15日、私は“市人民代表大会”宛てに三通の手紙を送りました。16日午前8時頃、私は実家に向かう途中で自警団員に尾行されていることに気づき、バスを降りると41954号警察、七宝派出所、新龍村自警団の関係者に道を遮られました。41954号警察は傘で私を殴った後、体中のあちこちが青く腫れあがった私をパトカーに押し込みました。正式な逮捕状がないまま、私は交番で二日間も不法に拘禁さました。その間、41954号警察は尊大な態度で『あんたはよくも我々を控訴してくれたな。その報復として、必ずあんたの名誉を貶め、息子を台無しにし、自宅から追い出し、全国に放送して陳情者の誰もあんたを信用しなくなるまで人生をぶち壊してやる。ただ一本の電話で我々はそれができる』と恐喝しました。24時間以内に、傷の確認と手当てをすることも許されませんでした。それから七宝病院まで護送されたものの、処方薬を飲むことは認められませんでした。

 18日に私は、警官の顧峰高氏と趙永林氏によって閩行拘置所に再び護送された後、15日間の行政拘留を言い渡されました。22日午後、拘置所側は病気治療の名目で私を上海提藍橋刑務所に護送し、刑務所の看守に私が仮病を使っていると言付けを残しました。その時の私は絶食をして4日間が経過し、血圧が異常に高く、全身に痛みが走り、体がとても衰弱していました。それから私は薬物中毒者専用の刑務所に収監されることになり、5日間にわたって全身を縄で縛り付けられました。毎回の食事はスプーン2口分しか与えられず、その上、水も飲ませてもらえませんでした。死人のような私は、あちこちに引きずられ、これ以上耐えられそうにない私を見て刑務所の当番医はやっと縄を解くことにしました。初めて超音波検査が許可された時には既に、小水が出なくなって48時間が経過していました。こっそりと検査医師に、一本の電話をしていただけないかと懇願しましたが、拒否されました。特に説明しておかなければならないのは、2月21日と27日の2日にわたって、鑑定医師が留置所まで来て、僅か2時間足らずの短い面会を通じて、残虐な拷問を嘗め尽くした私に対して無情にも、いわゆる精神病の診断をひそかに下したことです。

 3月3日、つまり拘留されて15日目に、七宝交番側は不法な診断結果をもって、家族に連絡をしないまま、私を拘置所から閩行区精神衛生センターに強制送還し、強制的に精神病治療薬を飲ませました。以来、私は毎日病棟の入り口に立ち続け、どうにか見舞いに来た知人を通じて近くに住む兄弟に消息を知らせることができました。親族が何度も頭を下げてくれて3月17日に病院側はやっと、不法に拘禁されて14日目の私の退院を許可しました。この間に精神病治療薬を服用させられていた為、私は精神に破壊的なダメージを受けていました。また殴打などの暴力を加えられていたせいで、背中の脊椎の一部が外れてしまい、歩行困難になり車椅子生活になってしまいました。理不尽な迫害を受けた事実を訴える為、私は投書と陳情を続けました。しかし迫害はこれで終わりませんでした。2003年6月3日、車椅子に座りながら陳情に出かけた際、私は再び七宝派出所の警察に閩行区精神衛生センターまで強制送還されました。私が服薬と注射を拒んだ為、複数の医師、看護士、男性精神病患者が車椅子に座っている私を縛りつけ、殴打し、衣服を破き、機具を使って無理やりに私の口をこじ開けさせて薬を流し込みました。口の中は血まみれになりました。また臀部は注射針に傷付けられて血が噴き出して止まらなくなり、壁まで血が飛び散りました。

関連キーワード
LINE NEWSに『中国の今を伝える 大紀元時報』を登録する方法
^