高智晟著『神とともに戦う』(84)権利を護りぬいた軌跡「この政権の敵は他でもない」(3)

2013年01月19日 10時30分

【大紀元日本1月19日】 年配の杜陽明さんは、次のように陳述した。
 「2003年4月24日、私は手紙を握り締めて閘北(こうほく)区陳情オフィスへと向かいました。いきなりでっち上げの“民衆を扇動して国家機関を攻撃する”という罪名により、1カ月の刑事拘留を言い渡されました。2003年6月3日、地域の投書陳情オフィスで警官の顧××、翁××、課長の沈××によって、私は残忍な拷問を8時間も受けました。私は両手を背後に縛られて、お尻を椅子に付けたまま頭を地面に押し付けられました。身体中には数多くの傷跡がいまだに残っています(写真有り)。決して忘れられないのは4月25日の早朝から、私は市総刑務所のベッドに20時間も縛り付けられ、大小便の排泄物が体とベッドの至るところにまみれ、世界中のどの男性でも堪えられないような侮辱を受けました。2003年4月24日、区政府のある権利者は、行政手段を利用してこの根拠のない罪名をもって、私に人生の中にこの上ない屈辱の一ページを残してくれました。最も耐え難いことは、いかなる証明書も提示されず、いかなる罪名も告知されないまま、この正直かつ無実な公民が市総刑務所、病院に強制連行されたことでした」

 「2003年6月3日、シ江西街道投書陳情オフィス課長・沈××、顧××、翁××などの5人が私の両手を背中に押し付けながら、殴る蹴るの残虐な暴行を加えました。体中が青紫色の傷だらけになりました。2003年6月17日、自宅の団地を出たところで、待ち伏せていた毛国良など警官4人に強引にパトカーに押し込まれ、15時間もシ江西街道に軟禁されました。私は脱出に成功し、そのまま北京に向かいました。2003年7月10日、北京の接済駅(永定門駅付近に設けられている施設。地方から北京に陳情に来る人々への拷問によく使われている場所)で、上海閘北区公安安定科課長・李××、蒋亦成など8人に、手錠で手を背後のベッドに掛けられたまま、東郊民巷にある地下室に連行され、その後上海まで強制護送されました。13日間、3カ所を転々とした後、2003年7月24日から殷高路禁固室で7日間も不法拘禁されました。最終的に蘇北大豊農場第二看守所での1年半にもわたる不当かつ屈辱的な強制労働教養が始まりました。労働収容所での食事は粗末な野菜で、飲み物は虫の入った井戸水でした。真夏は照り付ける太陽の下で、厳しい訓練と長時間立たされ続ける拷問を受け、真冬は厳しい寒さの中で扉際に座らされ続けるという体罰を受けました。常に理由もなく殴られたり、スタンガンで電気ショックを加えられたりしました」

 「2004年11月3日夜、私は賀などに強制連行され、シ江交番に一晩不法拘禁されました。翌日の11月4日に、私は大豊に護送されて再び自由を奪われました。マイナス4度の極めて低い気温の中、洋服を一枚ずつ脱がされて最後は靴まで取り上げられ、冷たいコンクリートの床に立たされ続けました。最初は毎日小さなコップ3杯分の水が与えられましたが(本来、糖尿病患者には大量の水分が必要です)、3日目から与えられたのは淡く黄色に濁った水でした。専用の容器から注がれたこのぬるま湯を飲んだ後、しばらくして異常を感じ始めました。居ても立ってもいられなくなって落ち着かなくなり、刑務官・那偉など3人が心理カウンセラーの身分で私に対して精神状態のテストを行いました。指導員の顧魯兵は『死んでも犬以下だ』と私に侮辱的な暴言を吐きました」

(続く)


関連キーワード
^