THE EPOCH TIMES

高智晟著『神とともに戦う』(85)権利を護りぬいた軌跡「この政権の敵は他でもない」(4)

2013年02月13日 11時00分

田宝成夫婦は陳情をしたという理由で上海市政府から数年にわたって受けた迫害の体験を、3万字に及ぶ告発資料にして綴ってくれた。老夫婦がこの数年間に受けた、人間性の欠如した痛ましい迫害事実に、私はやり切れない気持ちになった。

 「陳情に行くだけで冤罪を着せられるなんて思いもよりませんでした。私は政府と警察の厳重な人権侵害行為に抗議するため、二日間も断食しました。2003年4月27日、私は手錠を掛けられて上海市刑務所病院に護送され、9日間にわたって鉄のベッドに縛り付けられたまま頭と四肢を“大”の字にされて、食事は受刑者から野蛮に食べさせられました。拷問ともいえるこの“車裂き”式の縛り方で、心身ともに堪らなく苦しい上、体を全く動かすことができなかった。5月12日になって、私は閘北区拘置所に連れ戻され、尋問が始まりました。『態度が悪ければ、少なくとも強制労働教養3年、長ければ10年間の長期懲役だぞ・・・・・・』彼らは私を二度と北京へ陳情に行かせないように、恐喝と誘惑という卑劣な手段を利用して私に有罪を認めさせようとしました。また、その目的を達成する為に妻の張翠平と兄弟達をしばしば恐喝しました。でっち上げの“民衆を扇動し、国家機関を攻撃する”という罪名を着せる手段は、卑劣極まりないものでした。

 2003年12月2日は本来、私の不当懲役の刑期満了日でした。夜6時過ぎ、閘北区拘置所の、定年退職後に再雇用された刑務所警察・朱氏が、私を4号棟の逮捕室から連れ出して、3号棟の強制労働室に護送しました。そしてその場で“1年3カ月の強制労働教養”を私に口頭で言い渡しました。これは如何なるご時世だと憤りを覚えながら、即座に強制労働教養の根拠を求めましたが『ない』とだけ伝えられました。それから8カ月間、私はずっと閘北区拘置所に拘禁されました。私は何度も拘置所側に強制労働教養に関する正式書面を提示するよう要請しましたが、『あなたに関係する公文書はここにはないが、上からここに拘禁するようにと命じられているので、それ以外は私達に関係ない』と無情にも告げられました。閘北支局の関係者・蒋亦城と劉訓城など5人は、私に下記のような条件で交渉に来ました。『あなた達夫婦には2つの選択肢だけがある。1つ目は無条件に降参すること。そうすればあなたをすぐに外へ出してあげよう。2つ目はこのまま正義を貫く。その場合、待っているのは刑務所だ。どっちを選択するかは任せるが・・・・・・』

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