ー四種類の馬ー

2013年04月02日 07時00分
【大紀元日本4月2日】慌ただしく過ぎていく日々の中で、私たちはふと立ち止まる時があります。大病をした時、家族を看取った時、災害に見舞われた時・・・。不安と苦しみを感じる一方、それは人生の深遠な理に触れる瞬間でもあります。人を含む、この世のすべては無常。この限られた人生を無駄にせず、悔いのないように生きている人はどれくらいいるでしょうか。釈迦牟尼のこんな逸話があります。

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 ある日、釈迦牟尼は弟子たちを集めて四種類の馬についての説法を始めた。1番目の馬は、天才である。その走りは俊敏で、ずば抜けて早く、一日に千里を走ることができる。主人がムチを振り上げた途端、走るべきか、止まるべきかを認識する。つまり、主人の考えを瞬時に悟り、間違いがない。これが一流の馬である。

 2番目の馬も、よい馬である。この種類の馬は、主人がムチを振り上げても反応しないが、ムチが体に触れた瞬間に認識する。体は強くて早く、よい馬といえるだろう。

 3番目の馬は、普通の馬である。主人がムチを振っても言うことをきかない。主人が怒り、激しくムチ打つと、ようやく走り始める。

 4番目の馬は、できの悪い馬である。主人がいくら激しくムチを打っても、反応しない。仕方なく、主人はより激しくムチを打ちつけ、馬は骨身に沁みる傷を負いながら、ようやく走ることを認識する。

 次に、釈迦牟尼は4種類の人間について話した。1番目の人間は、この世の無常をいち早く悟り、時間を無駄にせず修行を重ねる。彼らは1番目の馬に似ている。

 2番目の人間は、1番目の人間ほど敏感ではない。しかし、彼らは人生がはかないものだということを知ると、修行の道に入ってくる。この種類の人間は、2番目の馬に似ている。

 3番目の人間は、比較的に辛い道を通り、時間がかかる。家族の不幸や自身に降りかかった災難などで苦しんだ後、ようやく人生のはかなさを知り、修行の道に入ってくる。彼らは3番目の馬に似ている。

 4番目の人間は、不治の病にかかり、寿命がつきかけようとしている時に、ようやく人生のはかなさを知る。彼らは一生の間に犯した多くの間違いを改め、正しい道を歩みたいと願うが、時はすでに遅いのだ。

 
(翻訳編集・郭丹丹)


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