チベットの光 (48) 俗塵を超えた悟り

2013年05月17日 07時00分

【大紀元日本5月17日】ミラレパは、師父の面前に膝まずくと涙を流し、合掌して自らの中で悟った法理を師父に話して聞かせた。

 「師父、師母!あなたがたの比類なき慈悲と加持に感謝し、さらに弟子としてその恩得を感じます。今、私は自分の中で悟りに至った法理をお聞かせいたします」

 「われわれはこの肉体の身にあって、業力と執着で充満していますが、福徳があり善良な人については、値のつけられぬほど貴重な、宝のような宝船だとみなしています。この船を操ってこそ、生きるか死ぬかのこの大河の中で、彼岸に到達することができます。これに対して、反対に悪いことをする人は、この人身があってこそ却って罪悪の淵源に落ち込んでいきます」

 「それゆえ、同様にこの身をもつものとしては、良いことをするか、悪いことをするかの選択が、人生で最も重要なこととなります」

 「しかし、よしんば正しい選択ができたにせよ、師父の導きがなければ、この茫々たる生死の大海にあっては、正確な方向を見出せず、また一切の苦の根源たる輪廻の大海からも抜け出せません。それゆえ、一切の修行の中で、絶対に師父の訓戒と指示に従わなくてはならず、緊密に師父とともに歩み、それでこそ得度できるのです」

 「この無尽無窮の生命の中では、人の命は比較的に小さなものです。この数知れない人海の中で、仏法を聴く人は、大海原の泡粒一つにすぎません。それゆえ、機会に恵まれて法を得た人は、その機縁を大事にしなくてはいけません」

 「わたしたちは、この肉身をもっていますが、いつ死んでしまうかもしれません。それゆえ、この宝器なる人身を大事にして、この船を操って解脱の彼岸へと向かわなくてはなりません」

 「宇宙の万物は、因果の法則から逃れることができません。善因には善果があり、悪因には悪果があります。この因果応報を理解してこそ、人生の苦楽を接受することができます」

 「人生の中の喜怒哀楽、努力によって手に入れた富貴、情愛が引き起こす恋愛感情、それらすべてが短くて、頼ることができず、絶対的なものではありません。人生で得られる快楽と人生で味わう苦痛とは、比較できません。人が三悪道(※1)に入った時の苦痛は、人の想像を超えており、輪廻の苦海の中にあっては、あらゆる生命がその苦痛と悲哀に見舞われます。私がこの無尽の輪廻転生と各類の生物に転生し、あらゆる苦痛を嘗めることに思いを馳せるとき、、わたしには解脱への強烈な願望が引き起こされ、佛になろうと決心し、それゆえ弛まない精進をしております」

 「私が思いますに、餓えている人が何かを食べればいいのだと知っていても、その知っていることが何の用になるでしょうか。知っていても、餓えを解決することにはならず、何かを食べてやっと解決するのです。同じように、仏法修煉においても、もし法理を理解していても、この身このままで実修することがなければ、何の役にも立たず、本当に修めてこそ役に立つのです。これが、私の今の一点の理解です」

 「このように、もし本当に修めようとすれば、疲労や苦痛を甘んじて忍び、世間の一切を放棄し、死を恐れず、心に雑念なきをもってはじめて精進し実修することができます」

 「師父母の恩得には、このミラレパ、どう報いればいいのかわかりません」、ミラレパは頭を垂れて師父に言った。「私には師父を供養できる物質的な富などなく、ただこれからの一生を修行に捧げて、これの成就をもって、師父への供養にしたいと思います」

 師父はこれを聴くと、非常に喜んで言った。「おまえさんは、本当にそんな次元まで悟ったのか?」

 師母も興奮して言った。「怪力君、精進によって増した知恵は少なくないわよ」

 彼らが法に関して修めることを交流して話し合ったのち、ミラレパはまた洞穴に戻って修行した。

 ミラレパがこの洞穴で修行している間、師父母は彼に目を掛け、法会の食べ物を彼に与えた。師父はここで彼が数年修め、また安心して修行に励むことを望んだ。いったいミラレパは師父の話を聴いて、そこで何年修めることができたのか。その後、彼はなぜ自ら洞穴を出てしまったのか。

 (※1)三悪道…地獄、餓鬼、畜生。地獄は上悪、餓鬼は中悪、畜生は下悪に属する。

 (続く)
 

(翻訳編集・武蔵)

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