【漢詩の楽しみ】登幽州台歌(幽州の台に登る歌)

2013年05月15日 07時00分
【大紀元日本5月15日】

前不見古人
後不見来者
念天地之悠悠
独愴然而涕下

 前(まえ)に古人を見ず。後(しりえ)に来者(らいしゃ)を見ず。天地の悠悠たるを念(おも)い、独(ひと)り愴然(そうぜん)として涕(なみだ)下る。

 詩に云う。ずっと以前に生まれた昔の人に会うことはできない。この後に生まれ来る、未来の人々にも会うことはかなわない。天地がこのように悠悠と続いていくのを思うと、人間の一生の短さが胸に迫って、私は一人、さめざめと涙を流すのである。

 作者の陳子昂(ちんすごう、661~702)は李白や杜甫より一世代前の人で、文学史の分類では初唐の詩人に入る。

 漢詩は、唐に至って形式や平仄などの規格が整い、飛躍的な発展を遂げる。科挙の試験科目の一つに作詩が設けられたことが直接的な理由だが、何よりも唐という時代のもつ明るさが文化を育む最良の環境になったと言ってよい。

 もちろん唐の前にも詩はあった。文学史では、唐の前には六朝(りくちょう)文学と呼ばれるジャンルがある。六朝の詩は、華美ではあるが、深みや表現力の豊かさでは盛唐の詩に遠く及ばない。初唐は、そのような六朝文学の限界を脱して盛唐へ橋渡しする、詩歌の過渡期と位置づけられる。

 冒頭の一首は、五言六言の破格である。定型詩にはほど遠いが、胸に迫る感情を直接的に表現したこの詩は、李白の雄大さと杜甫の繊細さにも通じるようで興味深い。

 ふと日本の俳句を思い出した。十七文字で表現する俳句には、俳聖芭蕉以来、それなりの守るべきルールが設けられている。ところがその俳句の世界には、河東碧梧桐や種田山頭火など、形式にとらわれない自由律を唱えるヘソ曲がりもいる。

 「まっすぐな道でさみしい」。これが俳句かと思わせる山頭火の句だが、作者の姿が目に浮かぶような不思議な魅力があるのはなぜだろう。

 そう思うと、破格の詩歌もなかなか捨て難い。

 
(聡)


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