【中国伝統文化】虚栄心を無くすことが大切

【大紀元日本8月24日】明の時代、戚継光(せきけいこう、1528-1588)という優秀な将軍がいた。当時中国を悩ませていた倭寇(海賊)を制し、万里の長城を再建するなど、数々の功績を残した。歴史書によると、戚継光の父親、戚景通は、率直で高潔な人柄であり、息子の戚継光に対して、自ら学問と武術を教えたとされる。戚景通の子育てに関する次のようなエピソードが残っている。

戚継光が生まれたとき、戚景通は既に56歳だった。彼はは戚継光を可愛がったが、同時に戚継光のしつけに関しては、非常に厳しかった。

戚継光が13歳の時、祖父が繊細で非常に美しいシルクの靴を買い与えた。戚継光は一目見て大変気に入り、その靴を履いて何度も中庭を行ったり来たりしながら、その感触と美しい見栄えを楽しんでいた。そこへ、父親の戚景通がやってきた。

戚景通は戚継光の様子を見ると、「一度贅沢な靴を履くと、自然に贅沢な服を着たくなる。贅沢な服を着れば、とたんに贅沢な食事をしたくなる。このような若さで、贅沢な食事と服を望むようになるのは不幸なことだ。成人する頃には、より貪欲になり、更に贅沢で高価な服や食事が欲しくなるだろう。もし将来、おまえが将軍になることができたとしても、数々の誘惑に勝つことは難しくなり、賄賂を受け取ったりすることにもなり得る。このまま続けば、何事も正直にことを行うことができなくなるであろう」と、厳しく戒めた。

戚景通はその靴が戚継光の祖父からのプレゼントだと知っていたが、お構いなしにそれを脱ぐよう命じると、びりびりに破いてしまった。戚景通は、息子に贅沢を欲しがる心を植え付けたくなかったのである。

戚景通は、息子に自ら学問と武術を教えたが、それは決して名利を追求し、財を成すためではなく、国に仕え、民を守るためであると何度も息子を戒めた。そして、「忠義を尽くし、孝行し、身を修め、礼儀をわきまえる」ことの大切さを説き、自らも模範を示した。

父親の厳しい教えのもと、戚継光は物静かで質素な生活に満足する人物となり、学問と武術に日々打ち込んだ。その後、戚継光は優秀な軍師となり、歴史に名を残す名将となったのである。

自らの見栄えや、財産、才能、成績、地位などに溺れ、それを誇示したいという心があれば、それは虚栄心の始まりである。虚栄心は、高尚な目的に達するための向上心を挫くもので、それによって人間は全てを失うこともある。