私はこうして中共の敵になった~中国人作家・廖亦武の半生~

2013年09月28日 07時00分
【大紀元日本9月28日】背中に「決してあきらめない」と書かれた黒のシャツ、雲南石の飾りをつるした黒のネックレス、ふちのないメガネ。

 寡黙で名刺を持たない廖亦武(リャオ・イウ)氏にとって、この3つの特徴がトレードマークで、そこから、我慢強さ、反骨、芸術、文人の特徴が見て取れる。

 6月13日の夜、廖氏はいつもの身なりで、ニューヨーク公立図書館でアメリカのテレビ局のキャスターと対談を行っていた。20年かけて書き上げた刑務所回想録『証言』(原題:證詞)の紹介だ。

 この1年余り、廖氏は西側の多くの国の文化討論会の常連であり、奔走が彼の生活の常態となっている。彼の両親は、毎日「問題を起こしてきた」息子が西側の出版界で最も歓迎される現代中国作家のひとりになるとは夢にも思わなかったに違いない。

 2003年に台湾で『中国下層取材録』(原題:中国底層訪談録)が出版され、2008年と2009年にその英語版とドイツ語版が出版されると、廖氏は西側社会で一躍有名になった。その後3年半の間に海外で次々と作品を発表し、刑務所回想録『証言』はドイツ出版界の最高の賞、ドイツ・ブックトレード平和賞を授与された。

行脚詩人からノンフィクション作家へ

 廖氏の父親は四川省の古文の教師で、彼は幼い頃しばしば高い机の上に抱きかかえ上げられては古文を覚えさせられた。覚えるまで下に降ろしてもらえなかったという。

 ところが、父親の願いとは裏腹に、彼は現代詩で反逆の青春期をスタートしたのであった。1980年代初期、廖氏は流浪を愛する行脚詩人として文化界に切り込み、政府関係の詩歌の賞を20余り受賞した。

 当時、父親は口を酸っぱくして彼に「共産党は何でもやってくるぞ」と警告したが、強情で不遜な彼は、長編詩『大虐殺』(原題:大屠殺)によって刑務所に送り込まれるまで、父親が何を言っているのかよく分からなかった。

 4年の刑務所生活で、廖氏は二度自殺を試みたが、九死に一生を得た。彼は牢屋の中で雑多な人々に接し、陽光の背後に隠された「闇の中国」を知ることになる。4年後に刑務所の門を出てきた時、「政治と聞けばすぐ寝てしまう」行脚詩人は、下層社会の記録者になっていた。

 『証言』は、文学版の「中国刑務所百科全書」と称された。彼は本の中で、刑務所内で行われていた数十種類の酷刑を細かく描写した。この本のドイツ語版が出版されると、2週間で2万冊売れ、わずか1年余りの間に、十数種類の外国語に翻訳された。

苦痛を書いて毒素を出す

記者 この本を書こうと思った理由は?

 『証言』は刑務所から出てから書き始めた。刑務所では、とても大きな苦難をなめた。一人の人間から一匹の犬になったのだ。自分が政治犯だということすら忘れ、心に多くの毒素が溜まっていった。

 出てきてから、世界の見方が完全に変わった。愛国だったはずの社会が実は「何でもお金」だったということに気が付いた。お金が完全に中国人の唯一の宗教だった。

 当時、私は社会に捨て去られたと感じた。だから、書かないわけにはいかなかったのだ。刑務所での体験を書かなければ、完全に忘れ去られそうで、とても恐ろしいことだった。苦難をなめるだけでなく、忘れ去られてしまえば、完全に廃物になってしまうということだ。

牢屋で見た「闇の中国」

記者 刑務所でどのような中国に気が付いたか?

 「闇の中国」、日の当たらない中国。もし自分が牢屋に入っていなければ、これらを知ることはない。刑務所に入ってみて初めて、非常に暗黒のものを知ったし、なぜそんなに多くの人が刑務所に入っているのかがわかった。実は、一部の人は、ちょっと反抗しただけであり、汚職官_li_のように臆することなく国家の資源を自分のものにするなどということをしていない。牢屋に入れられているのは多くがこそ泥で、共産党こそが最大の強盗だ。

 もし、中が塀のある刑務所だと言うなら、外は塀のない刑務所だ。

 中国のような社会では、誰もが犯罪の衝動に駆られる。ただ、まだ犯罪を犯していないだけだ。いつおとなしい人が突然犯罪者になるかわからない。中国はこういう国なのだ。人の悪をかき立てる場所だ。

 私も目にしたことがあるが、中国に行った西側社会の人が次第に中国の環境に適応し、共産党との付き合い方を覚え、それによって、悪のほうに変わり、賄賂、買春など、何でもするようになる。

 人間性には善と悪があり、西側社会では宗教や政治が人の邪悪を規制するが、中国の社会環境は人の邪悪をかき立てる。

 実のところ、私は元々無政府主義者で、『大虐殺』の詩を書いたのも、ただあれが真実だったからだ。あれほど大きな事件を中国人はみな、誤って理解していた。父親は常々私に、共産党はどんなに酷いかを話してくれていたが、当時私は信じなかった。

 あの日の朝、『大虐殺』を発表した後すぐに、私は牢屋に入れられた。その後、この刑務所回想録を書き始めた。この本は絶えず私に当惑をもたらし、国家の機器との対抗をもたらした。私はただ、刑務所の真相を記録しただけなのに。

 今、この本を書いた過程を思い出すと、おもしろいとさえ思うのだが、当時は非常に残酷だと感じた。この本を書き始めて1年後に原稿を警察に持って行かれた。当時は、絶望を感じた。自分の努力がすべて無駄になり、自殺しようとさえ思った。その後、家に20日余り軟禁され、勇気を振り絞って再び書き始めた。その1年後、再び原稿を没収された。三年目、私はまた書き始めた。その時はパソコンを使ったので、一部を書き終えるたびに、ディスクに保存して隠した。

本を出すには出国するしかない

記者 あなたは、「一冊の本が一人の運命を変えた」と言ったことがあるが、この本のために中国を離れたのか?

 そうだ。私が初めてこの本を携えて海外に来たとき、興味を示す人はいなかった。人々は忘れっぽいもので、刑務所の記録には興味を示さなかった。ところが、江沢民や胡錦濤には関心があった。

 2009年、ドイツで『中国下層取材録』が出版され、西側で大きな反響を呼び、私は一夜にして有名になった。

 ドイツで『証言』が受け入れられたのは、多くのドイツ人が共産党とナチスを経験していたからだろう。フィッシャー社はヨーロッパ最大の出版社の一つで、道義心がある。彼らもこの本は大いに価値があると感じていたが、売れるかどうか自信がなかった。

 共産党は郵便物のチェックによって、私が出版社と本の出版の話を進めているのを知り、私に本を出さないよう迫った。出せば、10年以上監禁されることになると言った。そこで、出版社は私の身の安全を考えて、出版の時期を遅らせることにした。結局、本を出したければ、出国するしかなかったのだ。

一貫した共産党の残酷さ

記者 なぜ、中共当局は『証言』に神経を尖らせるのか?

 初めは私もわからなかった。この本を出版できないだけでなく、当局は私を監禁しようとした。これは荒唐無稽だ。本の中で、塀のある刑務所と塀のない刑務所について書いたが、答えはおそらく本の中にあるのだろう。

記者 ドキュメンタリー『鬼の頭上にいる女たち』を撮影し、馬三家労働教養所の酷刑の内幕を暴露した映画監督の杜斌氏が最近逮捕された。共産党はなぜ、刑務所や労働教養所の酷刑を暴く作品をあれほどまでに恐れるのか?

 私は300余りのインタビューを行った。土地改革や大飢饉の被害者から反右派運動や文革の被害者まで、迫害を受けた法輪功修煉者も含まれる。これほど長い間、共産党の残酷さは一貫して変わっていない。

ヒトラーの統治は10年に満たないし、東欧共産党の統治も中共ほどには長くない。中共だけが一貫して残酷な手段で庶民に対処してきた。これまでずっと全力で真相を抑圧してきたのだ。なぜなら、中共は真相をもっとも恐れているからだ。中共にはこれまで真実の歴史はない。共産党は全く恥知らずで、何も恐れない。これこそが中共の恐ろしいところだ。

記者 中共は闇で法輪功を弾圧しているのだが、あなたはどのようにして法輪功学習者をインタビューしたのか?

 ある時、白髪交じりの法輪功学習者が二人、私の住んでいるコミュニティにチラシを配りに来て、私の家のドアをノックした。初め私は乞食かと思い、彼女たちにお金をあげようとしたが、彼女たちは要らないと言った。服が要るのかと思ったが、それも要らないと言う。二人は法輪功の修煉をしていると言うので、私は部屋の中へ招き入れた。職業柄、インタビューをしようと思ったのだ。

 彼女たちは入ってくると、私に言った。自分たちは成都からやってきた。法輪功学習者なので、現地政府によって精神病院に入れられ、ネズミの穴のような真っ暗な部屋に閉じ込められた。鉄のベッドに縛り付けられ、食事も用便もすべてそこでさせられた。そこはまったく日が当たらない。そんなところに閉じ込められたら、正常な人ならだれでも気が狂ってしまう。100日余りして、彼女たちは逃げ出してきた。その後、みんなに真相を語り続けている。

 不思議なことに、1週間あまりして、警察が家にやってきた。ドアを激しくたたいた。私は身の危険を感じ、7階から窓を開けて逃げた。まず綿陽へ逃げ、そこで車を拾って雲南まで行った。私は警察をまくことができたと思ったのだが、汽車の中で「610」(中共が法輪功を迫害するために設立したドイツのゲシュタポに似た機構)に捕えられた。

 彼らは、「法輪功にインタビューしただろう」と言って、早く録音を渡すよう迫った。彼らは特に凶悪だった。以前の国保警察はまだましで、口のきき方もこいつらほど荒くはなかった。ところがこの「610」のやつらは特に酷かった。彼らはしきりに「早く渡せ。渡したら、許してやる」と言った。

 共産党はうそつきだというのは知っていた。渡したら許してくれるなどというのはありえない。そこで、法輪功にインタビューなどしていないと言い張り、乞食が二人来たので、お金を渡したら立ち去ったと話した。証拠がなかったので、彼らは結局私を解放した。

苦難を記録して 中共の敵となる

記者 自分の役割をどんなふうに見ているか?

 多くの人がある面では私より勇敢だ。例えば、政治評論作家は権利擁護のために直接批判する。私のほうは、ただ真相を記録するだけだ。私の主な役割は下層の人々のことを語って聞かせることだ。「闇の中国」などの真相を文字に書いて多くの人に見せてあげることだ。苦難を記録することが作家の第一の使命だと考えている。

 中国にいるとき、私は「出版社泣かせ」と言われた。本を書くたびに発禁になるからだ。地下市場でさえも捜索された。今、私の役割は大きく変わった。海外で多くの賞をもらい、隠れた国家の敵から公然の国家の敵になった。

 私には政治的見解はない。ただ、審美的に私には共産党を受け入れられない。私が思うに、共産党は特に醜い。共産党に統治させるくらいなら、豚に統治させたほうがましだ。豚はおなか一杯になったら、ただブーブーいうだけで、他の人の干渉をしない。ところが、共産党は、おなかが一杯になり、十分にうまい汁を吸った後でも、他の人に対して非常に残虐だ。世界中どこを探してもこういうのはない。その上、こいつらは、イメージが悪い。政治局の人はみな同じ身なりで、髪形も同じ。見た目も醜く、私の審美観に合わない。

記者 あなたはまた中国に帰れると思うか?

 共産党がなくならない限り、帰らせてはくれないだろう。

 『証言』を出版し、私は、フランクフルトのパウロ教会で「帝国は分裂しなければならない」と題する講演を行った。共産党は、私の言論は極端だと考えている。しかし、私が思うに、この観点はとても一般的な見解だ。私は、中国は数十の国に分割してそれぞれが統治するのがいいと思っている。

 自分たちでリーダーを選ぶのがいい。例えば、四川ではコックで酒飲みをリーダーに選ぶとか。(笑)

記者 『証言』の英訳本が出版されたばかりだが、アメリカの読者にこの本からどんなことを理解してほしいと望んでいるか?

 読者には丁寧に刑務所の描写を読んでほしい。みんなは薄熙來、王立軍の重慶事件を知っているが、私が書いたのが正に重慶の刑務所だ。ひょっとしたら、薄熙來が捕まえた人がその刑務所にいたかもしれない。刑務所のそうした酷刑は十数年が過ぎた今も依然として存在している。

 共産党とビジネスをしようとしている人はよく考えてほしい。少なくとも、良心から自分に問いかけてほしい。そのようなことをして、自分の良心に申し訳が立つかどうか。

(文・周蕾、翻訳編集・瀬戸)

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