【紀元曙光】2020年9月6日

昭和21年のこと。小説家の志賀直哉は、日本の国語を「フランス語」に替えることを提案した。
▼志賀直哉がフランス語を話せたわけではない。たいした根拠もなく、あまりに奇妙な意見だったせいか、志賀直哉の「フランス語国語化案」は、後日の三島由紀夫などの例外を除いて、文壇からの反論もないまま流れて消えた。
▼「小説の神様」と称賛されるほどの日本語の名手である志賀直哉が、なぜ日本を「フランス語の国」にしようと思ったのか、小欄の筆者にもさっぱり分からない。頭の良すぎる人は、ある意味で奇人なのだろうか。ともかく令和の日本人が、フランス語で日々のあいさつをしていなくて、良かったと思う。
▼言語は、その民族が生きてきた証左であり、尊重されるべき誇りでもある。中国の内モンゴル(これ自体、奇異な呼び方である)の学校で、モンゴル語による授業が認められず、全て中国語で行うとされたことに、モンゴル族の学生やその保護者、および一部の教師から激しい抗議の声が上がっている。
▼「日本も昔、台湾や朝鮮半島で日本語教育をしたではないか」などと、中国共産党から難癖をつけられそうなので、先に言っておく。植民地の振興を目的とした日本のそれとは、根本的に違う。中共がやろうとしているのは、モンゴル人やウイグル人に対する同化政策であり、恐るべき民族浄化なのだ。
▼9月4日、内モンゴル・アルシャー盟の地元政府に勤務するモンゴル族の女性官員が、楼上から跳び下りて自殺した。33歳。モンゴル語の授業を廃止した当局に、抗議の意を示したものとみられる。